「運転再開は白紙」 国土交通事務次官(共同通信) - 5月30日17時23分更新
31日、復旧工事再開=「住民の理解得られた」−JR西(時事通信) - 5月30日23時2分更新
再開の了解求め戸別訪問 住民へ説明続行(共同通信) - 5月30日23時29分更新
この混乱振りの原因は何だろうか。
29日に読売が報じた「福知山線再開、来月13日で調整…国交相がJR西査察」2005年05月29日(日) の記事が、JR西トップの心の奥底を如実に物語っているのではないだろうか。
「北側国交相は29日、国交省幹部ら8人とともに、JR西日本本社で、垣内剛社長や南谷昌二郎会長らと面談し、同社が今月末に国交省へ提出予定の安全性向上計画について説明を受けた。
これに対し北側国交相は「社長自らが先頭に立って再発防止策を検討し、トラブルやミスの隠ぺいをなくす企業風土作りをしてほしい」と要望した。」
「安全性向上計画について北側国交相は記者会見で、「国交省への提出文書ではなく、被害者や多くの利用者、一般国民に発する最初の文書という位置づけで作ってもらいたい」と、改めて注文を付けた。」
垣内剛社長や南谷昌二郎会長の二人は、被害者への保障等に全力を尽くすために、敢えて社に残ることにした、と言っていた。
北側国交相から改めて注文を付けられるほど酷い内容だったことは、「被害者への保障等に全力を尽くすために」などとは心の中ではこれっぽっちも思ってはいない、と思わざるを得ない。
どうにかして、この場を切り抜け、早く儲けたい。そんな焦りが見え隠れする、と見るのは私一人の穿った見方であろうか。
体だけでなく、心に大きな傷を負った人が大勢いることを、そしてまた、近辺に住む多くの人たちが誰よりも早くかつ一生懸命救助活動をしていたことを、彼ら二人は何とも思っていないようだ。でなければ、近所の住人に十分な説明をすることを厭わないし、それが普通の市民の感覚だろう。
異なる見方もあるだろうが、この二人に、事故から教訓を引き出して問題の根本的な解決を任せても、成し遂げないのではないだろうか。
31日、復旧工事再開=「住民の理解得られた」−JR西(時事通信) - 5月30日23時2分更新
再開の了解求め戸別訪問 住民へ説明続行(共同通信) - 5月30日23時29分更新
この混乱振りの原因は何だろうか。
29日に読売が報じた「福知山線再開、来月13日で調整…国交相がJR西査察」2005年05月29日(日) の記事が、JR西トップの心の奥底を如実に物語っているのではないだろうか。
「北側国交相は29日、国交省幹部ら8人とともに、JR西日本本社で、垣内剛社長や南谷昌二郎会長らと面談し、同社が今月末に国交省へ提出予定の安全性向上計画について説明を受けた。
これに対し北側国交相は「社長自らが先頭に立って再発防止策を検討し、トラブルやミスの隠ぺいをなくす企業風土作りをしてほしい」と要望した。」
「安全性向上計画について北側国交相は記者会見で、「国交省への提出文書ではなく、被害者や多くの利用者、一般国民に発する最初の文書という位置づけで作ってもらいたい」と、改めて注文を付けた。」
垣内剛社長や南谷昌二郎会長の二人は、被害者への保障等に全力を尽くすために、敢えて社に残ることにした、と言っていた。
北側国交相から改めて注文を付けられるほど酷い内容だったことは、「被害者への保障等に全力を尽くすために」などとは心の中ではこれっぽっちも思ってはいない、と思わざるを得ない。
どうにかして、この場を切り抜け、早く儲けたい。そんな焦りが見え隠れする、と見るのは私一人の穿った見方であろうか。
体だけでなく、心に大きな傷を負った人が大勢いることを、そしてまた、近辺に住む多くの人たちが誰よりも早くかつ一生懸命救助活動をしていたことを、彼ら二人は何とも思っていないようだ。でなければ、近所の住人に十分な説明をすることを厭わないし、それが普通の市民の感覚だろう。
異なる見方もあるだろうが、この二人に、事故から教訓を引き出して問題の根本的な解決を任せても、成し遂げないのではないだろうか。
今日の読売新聞に「JR労組、チェック機能失った?」という記事が載っていた。詳しくはこちら。
「効率化、スピード化によって会社が収益を上げることを組合は否定してこなかった。しかし、振り返れば余りにもどん欲すぎた」。組織率87%の同社最大労組「西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)」の森正暁委員長は自戒の念を込めて語り、国労西日本の上村隆志委員長も「労組としても事故の責任は痛感している」と語っている。
「最大労組ゆえの批判も多いが、その一方で、労使協調の労組が陥りがちな〈落とし穴〉もある」として、甲南大経済学部の熊沢誠教授(労使関係論)の話を載せている。
「労使協調のもと、秒単位の労働管理は進み、効率主義によって安全への現場の意識は低下し、組合も労働者の苦しみや意見を吸い上げるという本来の機能を失っていく。今回の事故には、日本の労働現場の悲劇が象徴的に表れている。」
教授は続けて、こう訴えていた。
「組合は、労働者の立場から会社にきちんとものを言い、緊張感のある労使関係を築かねばならない」
ところが、このJR西の事故をきっかけとして明らかになってきた「事故と労組の関係」と似たようなことが、実はあちこちで起きていることに、慄然とせざるを得ない。
一つは日航の問題。航空労組連絡会の「日本航空に出された警告・事業改善命令に関する見解」を読むと、今回の尼崎事故問題とそっくりなことが分かる。
もう一つはNTTの違法・脱法の理不尽なリストラ問題。私がJR西に通じる問題だと思うのは、以下の点だ。
「毎年繰り返される50才で「会社選択」という「50才退職・賃下げ再雇用」。
これは通信産業労組の言うとおり、「法律違反であり、NTTグループ労働者の働くルールにも反しており、直ちに廃止されるべきもの」だ。
更に、「今、NTT東・西会社は、やむなく「退職・再雇用」に応じ、地域子会社へ移行した労働者に対して、「約束違反」である異職種・広域配転を押しつけようとしています。こんな約束違反であり理不尽なやり方は、社会一般には通じないものです。」という意見には賛同できる。
詳しくは、「NTT 50歳定年 リストラ11万人」を読んでみてほしいものだ。
これらに共通するのは、リストラを名目に、出向・配転・転籍・退職強要、そして解雇。企業の生き残りをかけた危機宣伝に抵抗せず、加担する労使協調路線の労働組合と、労働者の価値を生産性重視で評価する風潮。
ここには、「企業は誰のためにあるのか?」という問題、つまり社会的責任やコンプライアンス経営(倫理・法令遵守による経営)の理念の欠如が見て取れる。
企業も国の政治も、いま国民との間で大きな軋みを立てていると思う。
このままで良いはずがない。
※なお、あらかじめ、私はJR西労を擁護するつもりは微塵もないことを断っておく。JRの全労組(特に中心的な幹部)に、企業と同等の責任があると思っている。それだけでなく、国にも同等もしくはそれ以上の責任があると思っている。
「効率化、スピード化によって会社が収益を上げることを組合は否定してこなかった。しかし、振り返れば余りにもどん欲すぎた」。組織率87%の同社最大労組「西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)」の森正暁委員長は自戒の念を込めて語り、国労西日本の上村隆志委員長も「労組としても事故の責任は痛感している」と語っている。
「最大労組ゆえの批判も多いが、その一方で、労使協調の労組が陥りがちな〈落とし穴〉もある」として、甲南大経済学部の熊沢誠教授(労使関係論)の話を載せている。
「労使協調のもと、秒単位の労働管理は進み、効率主義によって安全への現場の意識は低下し、組合も労働者の苦しみや意見を吸い上げるという本来の機能を失っていく。今回の事故には、日本の労働現場の悲劇が象徴的に表れている。」
教授は続けて、こう訴えていた。
「組合は、労働者の立場から会社にきちんとものを言い、緊張感のある労使関係を築かねばならない」
ところが、このJR西の事故をきっかけとして明らかになってきた「事故と労組の関係」と似たようなことが、実はあちこちで起きていることに、慄然とせざるを得ない。
一つは日航の問題。航空労組連絡会の「日本航空に出された警告・事業改善命令に関する見解」を読むと、今回の尼崎事故問題とそっくりなことが分かる。
もう一つはNTTの違法・脱法の理不尽なリストラ問題。私がJR西に通じる問題だと思うのは、以下の点だ。
「毎年繰り返される50才で「会社選択」という「50才退職・賃下げ再雇用」。
これは通信産業労組の言うとおり、「法律違反であり、NTTグループ労働者の働くルールにも反しており、直ちに廃止されるべきもの」だ。
更に、「今、NTT東・西会社は、やむなく「退職・再雇用」に応じ、地域子会社へ移行した労働者に対して、「約束違反」である異職種・広域配転を押しつけようとしています。こんな約束違反であり理不尽なやり方は、社会一般には通じないものです。」という意見には賛同できる。
詳しくは、「NTT 50歳定年 リストラ11万人」を読んでみてほしいものだ。
これらに共通するのは、リストラを名目に、出向・配転・転籍・退職強要、そして解雇。企業の生き残りをかけた危機宣伝に抵抗せず、加担する労使協調路線の労働組合と、労働者の価値を生産性重視で評価する風潮。
ここには、「企業は誰のためにあるのか?」という問題、つまり社会的責任やコンプライアンス経営(倫理・法令遵守による経営)の理念の欠如が見て取れる。
企業も国の政治も、いま国民との間で大きな軋みを立てていると思う。
このままで良いはずがない。
※なお、あらかじめ、私はJR西労を擁護するつもりは微塵もないことを断っておく。JRの全労組(特に中心的な幹部)に、企業と同等の責任があると思っている。それだけでなく、国にも同等もしくはそれ以上の責任があると思っている。
県教委 懲戒手続き全県調査
謹慎解除せず生徒留年 web埼玉(05/05/26)
県西部の県立高校で女子生徒が謹慎処分(自宅待機)を受けた後、解除のないまま留年した問題で、稲葉喜徳教育長は二十五日、生徒に対する懲戒処分の手続きが適正に行われているかどうか、全県立高校に対して調査することを明らかにした。問題となった女子生徒への対応について、教育長は「学校管理上、極めて問題がある。校長の処分も含め検討したい」としている。
県の基準で生徒の懲戒処分は退学、停学、謹慎、戒告の四種類。停学は最長一カ月、謹慎は最長二週間となっている。調査では懲戒処分の手続きが基準に沿って行われているかどうか、処分をする際に適切な理由があったかどうか―などを調べる。時期や質問事項はまだ未定だが「早急に実施したい」(県教委)としている。
県教育局生徒指導室によると、問題の県西部の県立高校では、謹慎などの正規な処分の申し渡しをせず、「自宅待機」と呼ばれる方法で登校できなかった生徒が本年度に入り九人いる。このうち四人は今月二十四日まで自宅待機をしていた。県教育局の指導により、三人は二十五日、登校したという。
ここから見えてくることは、いったい何だろうか。
どなたかのコメントで、
「こういうのは記事に書かれているほど単純な話じゃないはず。」とか、「トイレの壁に猫の絵でも描いたぐらいで謹慎にするわけがない。」とか、「教員が数十人も会議していれば」、「職員会議で否決されるはず」
と、あるが、「はず」や仮定でものを言ってもらっては、それこそ困る。「現場を知る者に言わせてもらえば」と仰るのなら、なおさら「この高校では、これこれこういう実態なんだ。例の女子高生の態度はこうなんだ」、「職員会議ではこういう風に話し合い結論を出した」などの具体的な言及と、だからこそ規則に則って適正な処分を下したなどの説明でなければ、説得力は無い。
今回の記事で問題となっているのは、「懲戒処分の手続きが基準に沿って行われているかどうか、処分をする際に適切な理由があったかどうか」である。更に、「問題の県西部の県立高校では、謹慎などの正規な処分の申し渡しを」していない、ということだ。
考えても見たまえ。気に入らない奴をクビにする大人の社会でさえ、就業規則に則って訓告やら戒告、懲戒等々の処分を下すんだ。
例のJR西の場合でも、オーバーランが10メートル以上ならボーナス5万カットという規則に則っていたんだ(もちろん、そういう規則の良し悪しは別にしてだ)。だが、高校生に対しては、「正規な処分の申し渡し」すら必要ないとでも言いたいのだろうか。そんな手前勝手な言い分を押し通す教師集団がゴロゴロいる高校とは、いったいぜんたい、日本はどうなっているんだと言いたい。
教師とは、そんなに偉いのか。それで人権を云々するとは、いまどきの教師は、いったい何様のつもりでいるのか、と言いたいのだ。
尤も、身近に、そういう、まともで、真面目な教師がいるから、わたしとしては、埼玉にもまともな教師が少なくないと信じてはいる。
埼玉県立高の女子生徒、「強制謹慎」で留年(YOMIURI ONLINE)
「埼玉県西部の県立高校2年の女子生徒(17)が昨年度、学校から謹慎処分を受けた後、自主退学を求められるなどして約10か月登校できずに留年した上、復帰した今年度も約1か月クラスが決まっていなかったことがわかった」そうだ。
「生徒と家族によると、生徒は昨年6月、校内のトイレの壁に落書きし、数日後、謹慎処分を言い渡された。7月の期末テストは別室で1人で受けたが、下校時に他の生徒と接触したなどとして、以後の登校を禁止され、その後、自主退学を求められた。」
おいおい、「トイレの壁に落書き」くらいで、何で謹慎だの、退学になるのっ!?
まるで、JR西の乗務員に対するいじめそっくりじゃないか。いやいや、逆だな。
大人のいじめが子どもの世界に広がっていると見るべきだな。
「県の基準では謹慎処分は最長2週間で、県教育局は学校の対応が不適切だったことを認めている。」ようだが、先生一人の問題じゃなく、これは教育界全体の問題じゃないか。
日本という国は、いったい子どもをどんな人間に成長させたいのか。
「埼玉県西部の県立高校2年の女子生徒(17)が昨年度、学校から謹慎処分を受けた後、自主退学を求められるなどして約10か月登校できずに留年した上、復帰した今年度も約1か月クラスが決まっていなかったことがわかった」そうだ。
「生徒と家族によると、生徒は昨年6月、校内のトイレの壁に落書きし、数日後、謹慎処分を言い渡された。7月の期末テストは別室で1人で受けたが、下校時に他の生徒と接触したなどとして、以後の登校を禁止され、その後、自主退学を求められた。」
おいおい、「トイレの壁に落書き」くらいで、何で謹慎だの、退学になるのっ!?
まるで、JR西の乗務員に対するいじめそっくりじゃないか。いやいや、逆だな。
大人のいじめが子どもの世界に広がっていると見るべきだな。
「県の基準では謹慎処分は最長2週間で、県教育局は学校の対応が不適切だったことを認めている。」ようだが、先生一人の問題じゃなく、これは教育界全体の問題じゃないか。
日本という国は、いったい子どもをどんな人間に成長させたいのか。
「私服で乗務を監視、事故後も運転士に圧力、ビデオで隠し撮りまで、JR西日本」しんぶん赤旗(5/20)
福知山線の列車脱線事故を起こしたJR西日本で、管理職指導員が私服で列車に乗り込んで客を装って背後から運転士をこまかくチェックする行為が事故後も広島支社でおこなわれていたことが関係者の話でわかりました。こうした「監視」の結果、「日勤教育」という名前の“いじめ教育”もおこなわれたことが問題になっており、同社の体質があらためて問われます。
広島支社の運転士、西海信利さん(45)は、私服による監視の結果、運転室の施錠忘れや信号喚呼の声量が小さかったことを理由に二〇〇二年に処分を受けました。
「ボーナス五万円と昇給四分の一カット。一カ月の車両清掃を義務付ける日勤教育を受けた。現場所長ら五人から尋問され、『病院でも行くか』『いい先生紹介しよか』などとののしられた」と語ります。
この記事を読んでいて、ふと思い出したことがある。高橋伸夫著「虚妄の成果主義」(日経BP)の次のくだりだ。
「会社が人を辞めさせようとする理由は、その人の業績が悪いからではない。」
「高業績はリスク・ヘッジにはなるが、それが社内評価の向上には必ずしも直結しない。
このこと(=業績と評価[by 管理人])が論理的に区別して理解できれば、1990年代後半から日本企業に怒涛のように押し寄せてきた成果主義の正体が見えてくる。
これは切る側の論理としてはまことに便利で、成果が低いときにはリストラや賃金カットの留め金が外れる。しかし、仮に成果が上がったとしても、リストラこそ逃れられるだろうが、それが評価に直結するなどとは思わない方がいい。成果と評価は別物だからである。」(「はじめに」より)
「教育」に名を借りた「監視」が続く限り、大惨事は繰り返されるだろう。
話は逸れるが、もっと問題なのは、この手の「教育」が、小中学校や高校教育の現場でも起きているということだ。
日本全体が、大人から子どもに至るまで、監視と強制に縛られる社会になってきた。いや、より一層強化されてきたと言うべきか。
福知山線の列車脱線事故を起こしたJR西日本で、管理職指導員が私服で列車に乗り込んで客を装って背後から運転士をこまかくチェックする行為が事故後も広島支社でおこなわれていたことが関係者の話でわかりました。こうした「監視」の結果、「日勤教育」という名前の“いじめ教育”もおこなわれたことが問題になっており、同社の体質があらためて問われます。
広島支社の運転士、西海信利さん(45)は、私服による監視の結果、運転室の施錠忘れや信号喚呼の声量が小さかったことを理由に二〇〇二年に処分を受けました。
「ボーナス五万円と昇給四分の一カット。一カ月の車両清掃を義務付ける日勤教育を受けた。現場所長ら五人から尋問され、『病院でも行くか』『いい先生紹介しよか』などとののしられた」と語ります。
この記事を読んでいて、ふと思い出したことがある。高橋伸夫著「虚妄の成果主義」(日経BP)の次のくだりだ。
「会社が人を辞めさせようとする理由は、その人の業績が悪いからではない。」
「高業績はリスク・ヘッジにはなるが、それが社内評価の向上には必ずしも直結しない。
このこと(=業績と評価[by 管理人])が論理的に区別して理解できれば、1990年代後半から日本企業に怒涛のように押し寄せてきた成果主義の正体が見えてくる。
これは切る側の論理としてはまことに便利で、成果が低いときにはリストラや賃金カットの留め金が外れる。しかし、仮に成果が上がったとしても、リストラこそ逃れられるだろうが、それが評価に直結するなどとは思わない方がいい。成果と評価は別物だからである。」(「はじめに」より)
「教育」に名を借りた「監視」が続く限り、大惨事は繰り返されるだろう。
話は逸れるが、もっと問題なのは、この手の「教育」が、小中学校や高校教育の現場でも起きているということだ。
日本全体が、大人から子どもに至るまで、監視と強制に縛られる社会になってきた。いや、より一層強化されてきたと言うべきか。
こんな、面白くて為になり、そして最後には冷や汗で震えが起きるかもしれない本の紹介(管理人さんは備忘録のつもりなのだが)を見つけたので、早速メモっておき、仕事が一段落したら読んでみよう。
「+++PPFV BLOG+++」さんの「戦争プロパガンダ 10の法則」。
「+++PPFV BLOG+++」さんの「戦争プロパガンダ 10の法則」。
今回の事故の原因を考えると、左サイドバーで紹介している斎藤 貴男著「成果主義神話の崩壊」で紹介されている労働現場を想起してしまう。
読んでいない方は、ぜひ読んでみてほしい。
もともとあったであろう懲罰主義の労務管理に、目標(面接)管理制度を中核とした成果主義が加わったが故の、行き着いた先のようだ。
上司との面接で悪い印象を与えて評価を落とされ給与・ボーナスを下げられてしまうことのないように、上司にはゴマをすり、言われたことには逆らわず、たとえミスってもウソの報告で誤魔化し、自分の評価に関係ないことには、たとえ周りの人間が呻き苦しんでいようとも、オレの足を引っ張るなとばかりに見て見ぬふりを押し通し、行き着く先は無関心となる。このように上司の言うことに忠実に従うことを続けていれば、それが当たり前の仕事の仕方として染み付いてしまう。
経営側の9割「問題あり」成果主義に悩む労務担当者という記事を覚えているだろうか。そのうち消されてしまってはいけないので、全文紹介しておこう。
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「成果と評価の判定が難しい」「本当に個人の成果を引き出しているか疑問」。民間調査機関の労務行政研究所(猪股靖理事長)が成果主義人事・賃金制度について、大手企業の労使にアンケートした結果、経営側の88%、労働側の94%が「問題がある」と回答したことが20日、分かった。
1990年代後半から急速に導入が進んだ米国型成果主義だが、日本型の人事処遇制度やチームプレー重視に必ずしもなじまずに各企業が悩んでおり、運用面で修正の方向に進んでいることが分かる。
調査は昨年12月から今年1月にかけて、大手企業の労使を対象に実施し、219人から回答を得た。
労務担当役員の回答で「問題がある」(複数回答)とした項目のトップは「評価・目標管理制度」(93%)で、次いで「社員のモチベーション」(46%)だった。
(共同通信) - 3月20日16時1分更新
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また、「内側から見た富士通」著者のサイトでは、上記の記事のコメントを載せている。こちら
コメント内容が消されることはないと思うが、念のため紹介しておく。
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労務行政研究所が大企業を対象に調査を行った結果、なんと経営側の9割近くが成果主義に問題があることを認めたとのこと。
普通、経営側はこういう問題をなかなか認めたがらない傾向がある(特に人事部門)。経営陣にしても、なかなか一般社員の評価制度までは実態を知らないケースがほとんどで、従業員の意識とはかなり温度差があるものだ。
にも関らずこの数字。やはり安易な成果主義導入の弊害は日ごとに大きくなり、トップも意識せざるをえないレベルにまでなってきているのだろう。
前作を出版してから、何十社もの企業の社員と話す機会があり、その度に自身が経験したこととそっくりな状況が、そこら中の企業で起きていることに愕然としたものだ。
その中には、一般に「成果主義の成功例」と言われている企業もある。そういう企業にしても、ただ一時的な好業績の陰に隠れて、じわじわと社内の荒廃は進んでいるのかもしれない。特にそれら取材した人、企業ほとんど全てに共通するのは「目標管理制度がほとんど機能していない」という事実だろう。
今、比較的早期に新制度に移行した企業の間で、制度の見直し作業が始まっている。
まだこれといった方向性は打ち出せていないように思うが、個人的には富士通の改革がもっとも目指す方向性が明確な気がする。やはり導入が早かった企業ほど、改革も早いのかもしれない。
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読んでいない方は、ぜひ読んでみてほしい。
もともとあったであろう懲罰主義の労務管理に、目標(面接)管理制度を中核とした成果主義が加わったが故の、行き着いた先のようだ。
上司との面接で悪い印象を与えて評価を落とされ給与・ボーナスを下げられてしまうことのないように、上司にはゴマをすり、言われたことには逆らわず、たとえミスってもウソの報告で誤魔化し、自分の評価に関係ないことには、たとえ周りの人間が呻き苦しんでいようとも、オレの足を引っ張るなとばかりに見て見ぬふりを押し通し、行き着く先は無関心となる。このように上司の言うことに忠実に従うことを続けていれば、それが当たり前の仕事の仕方として染み付いてしまう。
経営側の9割「問題あり」成果主義に悩む労務担当者という記事を覚えているだろうか。そのうち消されてしまってはいけないので、全文紹介しておこう。
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「成果と評価の判定が難しい」「本当に個人の成果を引き出しているか疑問」。民間調査機関の労務行政研究所(猪股靖理事長)が成果主義人事・賃金制度について、大手企業の労使にアンケートした結果、経営側の88%、労働側の94%が「問題がある」と回答したことが20日、分かった。
1990年代後半から急速に導入が進んだ米国型成果主義だが、日本型の人事処遇制度やチームプレー重視に必ずしもなじまずに各企業が悩んでおり、運用面で修正の方向に進んでいることが分かる。
調査は昨年12月から今年1月にかけて、大手企業の労使を対象に実施し、219人から回答を得た。
労務担当役員の回答で「問題がある」(複数回答)とした項目のトップは「評価・目標管理制度」(93%)で、次いで「社員のモチベーション」(46%)だった。
(共同通信) - 3月20日16時1分更新
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また、「内側から見た富士通」著者のサイトでは、上記の記事のコメントを載せている。こちら
コメント内容が消されることはないと思うが、念のため紹介しておく。
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労務行政研究所が大企業を対象に調査を行った結果、なんと経営側の9割近くが成果主義に問題があることを認めたとのこと。
普通、経営側はこういう問題をなかなか認めたがらない傾向がある(特に人事部門)。経営陣にしても、なかなか一般社員の評価制度までは実態を知らないケースがほとんどで、従業員の意識とはかなり温度差があるものだ。
にも関らずこの数字。やはり安易な成果主義導入の弊害は日ごとに大きくなり、トップも意識せざるをえないレベルにまでなってきているのだろう。
前作を出版してから、何十社もの企業の社員と話す機会があり、その度に自身が経験したこととそっくりな状況が、そこら中の企業で起きていることに愕然としたものだ。
その中には、一般に「成果主義の成功例」と言われている企業もある。そういう企業にしても、ただ一時的な好業績の陰に隠れて、じわじわと社内の荒廃は進んでいるのかもしれない。特にそれら取材した人、企業ほとんど全てに共通するのは「目標管理制度がほとんど機能していない」という事実だろう。
今、比較的早期に新制度に移行した企業の間で、制度の見直し作業が始まっている。
まだこれといった方向性は打ち出せていないように思うが、個人的には富士通の改革がもっとも目指す方向性が明確な気がする。やはり導入が早かった企業ほど、改革も早いのかもしれない。
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「政府が国鉄分割民営化(1987年)の際に、大手私鉄に速度制限型ATS(自動列車停止装置)の設置を義務付けていた通達を廃止し、JRへの適用を避けていた。」
「今回の事故を受けて国土交通省は、福知山線運行再開にあたっての条件として新型の自動列車停止装置(ATS―P)設置をあげています。これまでも設置を義務付けるチャンスはいく度もあったのにそれを逃してきた」と言う。
「設置を後回しにしてきたJR西日本はもとより、国交省の指導監督責任は重大」だ。
「おおもとには、速度制限型ATS義務付け通達の廃止など政府がJRに対して安全指導を緩めてきた問題があるわけで、民営化、規制緩和で国の責任を放棄し、JRの利益第一主義を許してきた政府」にも、JR西と同程度の責任があるではないか。
参考:赤旗(5/17)
政党の中で、本気で改革を迫っているのは、共産党だけのようだ。
野党第一党の民主党は、事故当日に、事故を知りながら、やれ宴会だのゴルフだのと浮かれていた。これでは本気で追求なんてできるわけがない。
「今回の事故を受けて国土交通省は、福知山線運行再開にあたっての条件として新型の自動列車停止装置(ATS―P)設置をあげています。これまでも設置を義務付けるチャンスはいく度もあったのにそれを逃してきた」と言う。
「設置を後回しにしてきたJR西日本はもとより、国交省の指導監督責任は重大」だ。
「おおもとには、速度制限型ATS義務付け通達の廃止など政府がJRに対して安全指導を緩めてきた問題があるわけで、民営化、規制緩和で国の責任を放棄し、JRの利益第一主義を許してきた政府」にも、JR西と同程度の責任があるではないか。
参考:赤旗(5/17)
政党の中で、本気で改革を迫っているのは、共産党だけのようだ。
野党第一党の民主党は、事故当日に、事故を知りながら、やれ宴会だのゴルフだのと浮かれていた。これでは本気で追求なんてできるわけがない。
往々にして、下位の従業員を攻め立てる風潮があるが、彼がそのようになった背景に、いったい何があったのか、とことん突き詰めていくと、そこには過酷で熾烈な労働現場の実態があぶりだされてくるものだ。
その実態の一端を、今日の読売新聞は伝えている。「JR西日本 運転ミス賞与減額 一律5万・10万円 労基法違反指摘も」が、それだ。
最近、企業のコンプライアンス(法令順守)が叫ばれているが、ここJR西に、そのような気配は微塵も無いようだ。
企業の責任を問う声が日増しに強まってきているが、それは取りも直さず、幹部の責任を問うことに等しい。更に、民営化以降、放置してきた行政の責任も問わなければならない。
ジャーナリズム、メディアは、そのような追求の声を弱らせてはならない。報道することを弱めてはならない。弱めれば、信楽鉄道事故の教訓を、ついに無にしてしまうからだ。
これからが、ジャーナリズムの正念場だと思う。私たちは、しっかりと見守っていこうではないか。
その実態の一端を、今日の読売新聞は伝えている。「JR西日本 運転ミス賞与減額 一律5万・10万円 労基法違反指摘も」が、それだ。
最近、企業のコンプライアンス(法令順守)が叫ばれているが、ここJR西に、そのような気配は微塵も無いようだ。
企業の責任を問う声が日増しに強まってきているが、それは取りも直さず、幹部の責任を問うことに等しい。更に、民営化以降、放置してきた行政の責任も問わなければならない。
ジャーナリズム、メディアは、そのような追求の声を弱らせてはならない。報道することを弱めてはならない。弱めれば、信楽鉄道事故の教訓を、ついに無にしてしまうからだ。
これからが、ジャーナリズムの正念場だと思う。私たちは、しっかりと見守っていこうではないか。
「脱線直後 現場に支社長 人命救助指示せず」
えっ?! ウソ?! ホント?!
「百七人の死者を出したJR福知山線の脱線事故当日(四月二十五日)、JR西日本が非常招集体制をとりながら、事故現場にいた橋本光人大阪支社長は、人命救助に携わるよう労働者に的確な指示をしていなかったことが十五日までに、労働者の証言などでわかりました。」
16日付の「赤旗」が伝えていた。これを知ったときには、度肝を抜かされた。
「10時10分、消防や警察と一緒に現地対策本部を設置しましたが、現場周辺に集合している労働者に人命救助の指示は」無かったと言う。
「JR労働者は、感電による二次災害の防止や、踏切警報機の回復、後続電車の乗客の安全誘導などに従事したものの、「最高責任者の大阪支社長が現場にいて、なぜ指示を出さなかったのか」と疑問の声が広がって」いるそうだ。
また、国労西日本本部の田中博文書記長は「地域の人たちが活動に携わってくれただけに、自分たちが活動に加われず残念だという声が組合員から相次いでいます。」とも言っているという。
この書記長の言葉に対して、「そんなこと、何で自分で判断して救助しなかったんだ」という非難の声が上がりそうだ。
確かに、まともな企業に勤めている人に対して言うのであれば的を得たものと言えるだろうが、これまで考察してきて、爺やなりに述べてきたように、JR西の組織風土は「命令と絶対服従」の軍隊的組織であったと言える以上、そこで働く者が、命令がなければ動くこともできないロボット、もっと言えば、半ば奴隷状態とも言える状況にあったと言えるではないか。そんな環境にいれば、今頃になってではあるが、「自分たちが活動に加われず残念」という言葉が出てきてもやむを得ないように思う。
爺やは国労もJR総連も支援・支持してはいないが、二度とこのような嘆きの言葉を吐かないように立ち上がってもらいたい。
責められるべきは、現場にいながら、部下であるロボットたち、奴隷たちに、何らの指示もしなかったJR西の幹部である。
えっ?! ウソ?! ホント?!
「百七人の死者を出したJR福知山線の脱線事故当日(四月二十五日)、JR西日本が非常招集体制をとりながら、事故現場にいた橋本光人大阪支社長は、人命救助に携わるよう労働者に的確な指示をしていなかったことが十五日までに、労働者の証言などでわかりました。」
16日付の「赤旗」が伝えていた。これを知ったときには、度肝を抜かされた。
「10時10分、消防や警察と一緒に現地対策本部を設置しましたが、現場周辺に集合している労働者に人命救助の指示は」無かったと言う。
「JR労働者は、感電による二次災害の防止や、踏切警報機の回復、後続電車の乗客の安全誘導などに従事したものの、「最高責任者の大阪支社長が現場にいて、なぜ指示を出さなかったのか」と疑問の声が広がって」いるそうだ。
また、国労西日本本部の田中博文書記長は「地域の人たちが活動に携わってくれただけに、自分たちが活動に加われず残念だという声が組合員から相次いでいます。」とも言っているという。
この書記長の言葉に対して、「そんなこと、何で自分で判断して救助しなかったんだ」という非難の声が上がりそうだ。
確かに、まともな企業に勤めている人に対して言うのであれば的を得たものと言えるだろうが、これまで考察してきて、爺やなりに述べてきたように、JR西の組織風土は「命令と絶対服従」の軍隊的組織であったと言える以上、そこで働く者が、命令がなければ動くこともできないロボット、もっと言えば、半ば奴隷状態とも言える状況にあったと言えるではないか。そんな環境にいれば、今頃になってではあるが、「自分たちが活動に加われず残念」という言葉が出てきてもやむを得ないように思う。
爺やは国労もJR総連も支援・支持してはいないが、二度とこのような嘆きの言葉を吐かないように立ち上がってもらいたい。
責められるべきは、現場にいながら、部下であるロボットたち、奴隷たちに、何らの指示もしなかったJR西の幹部である。
「評価(制度)」と「組織風土」からJR西・尼崎事故について考えているところ、「花のニッパチ」さん紹介の「読売新聞の社説はどうなの・・2」さんのサイトから次のような関連記事サイトを見つけたが、なかなかの卓見ものだ。爺やも共鳴したところがあるので紹介しておこう。
まずは、「PPFV BLOG」さんとこで転載引用歓迎のML記事が目に入った。
このML投稿者の言うことをすべて鵜呑みにするつもりはない。しかし、耳を傾けるに値するところもあった。
「JR西日本ではJR各社の中で唯一成果主義の人事賃金体系を導入しています。会社による評価が賃金・処遇に大きな差を生み、評価をめぐって労働者同士が競争させられる仕組みは、労働者に加えられる経営側の圧力をさらに高め、砂漠のような職場をつくりだしました。」
「国鉄の民営化を前後する時期、職場規律の回復が叫ばれる中、わずかなミスを理由に長期の乗務停止による再教育が行われるようになりました。JR総連は1988年にJR東日本で起きた東中野列車追突事故を契機に、「責任追及から原因究明へ」を掲げてこのような対応の見直しを迫りました。ミスに対する懲罰・見せしめによって事故はなくならない、ミスを生んだ原因を明らかにし、必要な対策を講じるべきだと主張したのです。」
「このとき、JR東日本はこの指摘を「まったく正しい」(山之内秀一郎『なぜ起こる鉄道事故』東京新聞出版局)と受け入れ、労使の協力によって安全を築く道へと踏み出しました。」
「ところがJR西日本は猛反発し、JR東日本労使が1990年に世界の鉄道労使に呼びかけて開催した国際鉄道安全会議をボイコットしたのです。当時のJR西労組委員長も会議を欠席し、翌年早々に「JR総連からの断絶」を表明してJR総連から分裂していったのでした(JR東海、JR九州、JR四国がこれに続きました)。その後、JR総連に残ったJR西労つぶしという邪な目的も与って、JR西日本では「日勤教育」が定着し、悪質化していったのです。」
JR西の異常さもさることながら、労組は一体何をしていたのかと疑わざるを得ない。
「かつて信楽高原鉄道事故でも「お詫びというのはこちらが悪いことをした場合の表現」だ(角田社長<当時>の発言)と語って遺族への謝罪を12年間も拒否し、裁判によってJR西日本の責任が重いことが確定してはじめて謝罪したのでした。」
「幹部が責任を取らず、現場労働者に負担と責任をおしつけ、現場の切実な声を無視し、ひたすら利益の追求に走るJR西日本の企業体質こそ事故の根本原因です。この体質から脱皮し、JR西日本が真剣に安全を追求する鉄道会社に生まれ変わるまで、問題の解決はありません。」
”幹部が責任を取らず、現場労働者に負担と責任をおしつけ、現場の切実な声を無視し、ひたすら利益の追求に走る”という体質は、何もJR西に限ったことではないと思う。国・行政自体がまさにそうではないか。
そんなことを考えているとき、鋭い視点の記事にお目にかかった。「これでいいのか?」さんの「被害者と加害者を取り違えた報道」と題した、次のような警鐘である。
「今回の大惨事についても、かつてと同じように、本質からはずれた記事で読者の感情を煽りながら、JR西日本の責任についての追及は避けるような報道が行われるのでは、というふうに認識を改めています。」
本当に追求しなければならないのは、やはり、国・行政と企業トップの責任だろう。メディア・ジャーナリズムは一体どこを見ているのか?!
まずは、「PPFV BLOG」さんとこで転載引用歓迎のML記事が目に入った。
このML投稿者の言うことをすべて鵜呑みにするつもりはない。しかし、耳を傾けるに値するところもあった。
「JR西日本ではJR各社の中で唯一成果主義の人事賃金体系を導入しています。会社による評価が賃金・処遇に大きな差を生み、評価をめぐって労働者同士が競争させられる仕組みは、労働者に加えられる経営側の圧力をさらに高め、砂漠のような職場をつくりだしました。」
「国鉄の民営化を前後する時期、職場規律の回復が叫ばれる中、わずかなミスを理由に長期の乗務停止による再教育が行われるようになりました。JR総連は1988年にJR東日本で起きた東中野列車追突事故を契機に、「責任追及から原因究明へ」を掲げてこのような対応の見直しを迫りました。ミスに対する懲罰・見せしめによって事故はなくならない、ミスを生んだ原因を明らかにし、必要な対策を講じるべきだと主張したのです。」
「このとき、JR東日本はこの指摘を「まったく正しい」(山之内秀一郎『なぜ起こる鉄道事故』東京新聞出版局)と受け入れ、労使の協力によって安全を築く道へと踏み出しました。」
「ところがJR西日本は猛反発し、JR東日本労使が1990年に世界の鉄道労使に呼びかけて開催した国際鉄道安全会議をボイコットしたのです。当時のJR西労組委員長も会議を欠席し、翌年早々に「JR総連からの断絶」を表明してJR総連から分裂していったのでした(JR東海、JR九州、JR四国がこれに続きました)。その後、JR総連に残ったJR西労つぶしという邪な目的も与って、JR西日本では「日勤教育」が定着し、悪質化していったのです。」
JR西の異常さもさることながら、労組は一体何をしていたのかと疑わざるを得ない。
「かつて信楽高原鉄道事故でも「お詫びというのはこちらが悪いことをした場合の表現」だ(角田社長<当時>の発言)と語って遺族への謝罪を12年間も拒否し、裁判によってJR西日本の責任が重いことが確定してはじめて謝罪したのでした。」
「幹部が責任を取らず、現場労働者に負担と責任をおしつけ、現場の切実な声を無視し、ひたすら利益の追求に走るJR西日本の企業体質こそ事故の根本原因です。この体質から脱皮し、JR西日本が真剣に安全を追求する鉄道会社に生まれ変わるまで、問題の解決はありません。」
”幹部が責任を取らず、現場労働者に負担と責任をおしつけ、現場の切実な声を無視し、ひたすら利益の追求に走る”という体質は、何もJR西に限ったことではないと思う。国・行政自体がまさにそうではないか。
そんなことを考えているとき、鋭い視点の記事にお目にかかった。「これでいいのか?」さんの「被害者と加害者を取り違えた報道」と題した、次のような警鐘である。
「今回の大惨事についても、かつてと同じように、本質からはずれた記事で読者の感情を煽りながら、JR西日本の責任についての追及は避けるような報道が行われるのでは、というふうに認識を改めています。」
本当に追求しなければならないのは、やはり、国・行政と企業トップの責任だろう。メディア・ジャーナリズムは一体どこを見ているのか?!
今回のJR西・尼崎の大惨事の原因は様々に論じられているが、爺やなりに一つの側面から喝を入れておこうと思う。
それは、評価(制度)の問題とそれによる組織風土の問題だ。この記事を覚えておられるだろうか。
「遅れ取り戻すほど評価」 死亡の運転士、友人に語る
---------------------------------------------------------
兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)で脱線した快速電車の高見隆二郎運転士(23)=死亡=が今年1月、友人らに「遅れを取り戻すことができる力量を持った運転士ほど社内で高く認められる」と話していたことが11日わかった。「カーブに入る際、ブレーキをかける位置をできるだけ遅らせる」と、職場で「回復運転」と呼ばれる手法についても具体的に語っていたという。
それによると、高見運転士は今年1月、中学時代の同級生が集まった飲み会で、「電車の出発が遅れたり、お客さんの乗り降りが長引いたりしたとき、(運転時間を)詰められるところで詰めなければならない。社内で『回復運転』と呼ばれ、結構難しい」と話題にしたという。
具体的には(1)直線区間でスピードを上げる時間を延ばす(2)カーブ手前の減速ポイントでブレーキをかける位置を遅らせると説明。これらの方法は「社内の運転マニュアルではなく、見習い時代に先輩から教わったり、職場で同僚からコツを聞いたりして覚えた」と語った。
高見運転士は昨年6月、JR学研都市線で約100メートルオーバーランし、訓告処分を受けた。その直後に会った際は落ち込んだ様子で、「偉い人の前で反省文や報告書を何度も書き直しさせられたり、本を全部写さなければならなかったりとても大変だ」と、社内で「日勤教育」とされる再教育の厳しさを打ち明けたという。
数週間後に再会したときは、「今回は何とか運転士をやめなくて済んだけど、今度やったら(乗務を)おろされるかもしれない。会社はミスに厳しく、運転士から車掌に戻る人も少なくない」と不安を漏らした。
---------------------------------------------------------
組織が従業員の何を評価するかによって、組織風土は作られていく。
組織のトップが、部下に、従業員に、何を求めるかで、組織風土は決まり、組織の価値は定まっていく。
今回の一連の会長、社長、専務の口から漏れ出てくる言葉をテレビで見、あるいは新聞記事やネットニュースで読む限り、組織風土は「命令と絶対服従」の軍隊的組織であったと言える。それが、「民営化」の名によってもたらされたことも、また歴然としている。
上司の命令には絶対服従である以上、人命救助のことなど思いも及ばないのは当たり前である。支社長の講演を優先し、上司とのコミュニケーションであるボーリング大会や宴会を優先するのも、これまた当たり前である。
自己に対する評価が、「遅れを取り戻すことができる力量を持った運転士ほど社内で高く認められ」、かつ給与も支払われるという組織の中にあって、「遅れを取り戻すことができない運転士は社内で認められず」、草むしりなどの見せしめ的「日勤教育」を受けて乗務を下ろされ、挙句の果てに手当てが減額され生活に困ってしまうという恐怖の中に居れば、上司の言うことには絶対的に服従しなければならなくなるのは、誰でも容易に察しがつく。
労組のサイトによると、
「JR西日本会社は、年功制賃金を廃止し、評価制度を全面的に導入した新しい賃金体系を提案してきました。
鉄道の最大の目的は、安全・確実にお客様を送り届けることであり、成果主義は全くなじみません。」と、ある。
また、「JR西労の組合員を敵視した労務政策と並行して、「評価」による賃金・昇進制度の導入を「活用」した高圧的な社員管理、逼迫した要員需給など、会社の労務管理と労働組合対策の実態があります。」とも述べている。
これは、よく言われる「成果主義・目標管理(面接)制度」のことであろう。これが実際には破綻していることは有名だが、ひとまず置いておく。
爺やが言いたいのは、上司の命令には絶対服従という環境の下で、更に労務管理を徹底するためのこのような評価制度のもとに置かれていれば、ただ単に成果主義の評価制度のもとで働く勤労者以上に、ストレス・緊張度は極度のものとなるだろう(もちろん、成果主義の評価制度だけであっても、それはそれで不合理極まりないことが多々あって、モチベーションは下がるし、企業としての業績も上がらないという問題はあるのだが)。
ここで、ニュースで拾った社長や専務の言葉を、もう一度よく確かめてみてもらいたい。
2005年5月14日(土)赤旗・朝日・Excite Newsより。
13日の衆院国土交通委員会での垣内社長と徳岡研三専務・鉄道本部長の答弁。
垣内社長:
「国鉄の時代と違ってしっかり仕事をしてきた。指揮命令系統についてはそれなりにきちんとしたことができた。」
(企業のトップともあろう者が、人命救助を優先するのか、それとも上司の命令を優先するのか、大切なものは何なのか自分で判断することができないようにしてしまう「指揮命令系統」、これに問題は無いかのような認識でいる。このことが、まず問題だろう。)
垣内社長:
自身の責任について問われ、被害者や遺族への対応、安全性向上計画や運行再開に取り組むとしながら、「今回の事故で一番痛みを感じている私こそが前面に立って企業風土の改革をやらねばならない。そういった事柄が責任の取り方の一つではないか。」とのべ、当面の辞任を否定しました。
(先に述べたような、人間としても、企業人としても、誤りを誤りと認識できない者が「企業風土の改革」なんぞ、できるわけが無い。言葉で百万回「一番痛みを感じている」というフレーズを口から吐き出したとしても、それは単に、プリテンドでしかない。)
徳岡研三専務・鉄道本部長:
5月13日の衆院国土交通委員会で、社内での日勤教育が懲罰的だと指摘されていることについて、「事故再発防止の観点から必要な教育を実施しており、大部分の再教育は趣旨にのっとって実施している。ただ社員の受け止め方として一部例外的にやや疑義のある部分があったと考えられるので、今後検討したい。」
事故で死亡した運転士が昨年6月にオーバーランを起こした際に受けた日勤教育については「管理者の指導のもとレポートをまとめさせるなどの再教育を行った。必要かつ適正だったと考える。」
(あの「日勤教育」の内容は「事故再発防止の観点から必要な教育」で、「大部分の再教育は趣旨にのっとって実施している」から問題ない、と言っているに等しい。「ただ社員の受け止め方」に「一部例外的にやや疑義のある部分があった」ことが問題だと言う。悪いのは「受け止め方」の悪い社員なのだと言う。)
徳岡研三専務・鉄道本部長:
また、オーバーランなどミスをした乗務員に草むしりなどをさせる「日勤教育」について「他社の例も参考に検討したい。」
(誰がどう考えたって、「草むしりなどをさせる」ことが、「事故再発防止の観点から必要な教育」とは言えない。にもかかわらず、こんなことを平然と言ってのける以上、「他社の例も参考に検討」する内容とは、いったいどのようなものにしていくというのだろうか。「検討」した結果、当初国会で答弁したように、悪いのは社員の受け止め方であるので、教育内容は変更しません、ということになることが十分予想される。)
垣内社長:
JR西日本の経営理念についても「安全優先をする企業風土の構築という観点から、見直しを議論したい」と表明し、改善すべき点があったことを認めた。
「企業の風土を変えたい。一から出直して、恥ずかしいことの絶対起こらない企業にしなければならない」
また、快速電車が衝突したマンションについて、垣内社長は「買い取って慰霊碑的なものを作ることも検討するべきではないか」という委員の質問に、「住民とはいろいろな話をさせていただきたい。買い取って慰霊的なものをつくることも、大変重要な課題のひとつ」と前向きに検討する姿勢を見せた。
(ここに見られる特徴的な言い回しは、「検討する/したい」、「議論したい」、「〜しなければならない」など、どれをとっても「こうします」というものではない。逃げの言葉、他人事(ひとごと)のようなモノの言い方である。これは、信楽高原鉄道事故以来培ってきた、何を言われようが決して実行しないという経営姿勢の賜物であろう。)
「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」、「人の噂も七十五日」とばかりに、今必死に耐えて凌いでやり過ごそう、という姿勢を、モロに表している言葉の羅列である。
だから、電車に乗り合わせた2人の運転士が乗客を救助しなかったことや、社員が宴会やボウリング大会に出ていた問題も「本当に信じられない、情けない気持ち。決められたことさえすればいいという風潮が出ていたのかもしれない」と、まるで他人事のように言えるのだろう。とてもトップの言葉とは思えないはずだ。
なお、「安全対策全般を見直すためには外部の視点が必要だという認識を示し、第三者を起用した「安全諮問委員会」の設置を検討していることを明らかにした」そうだが、これも方便の一つと見るべきだろう。本気で改善する気があるのなら、諮問委員会ではなく、新たに外部から、それを担当する役員が役員会に加わるべきだろう。諮問委員会の結論には拘束性があるようで無いから、ザルになることが十分考えられるからだ。
それは、評価(制度)の問題とそれによる組織風土の問題だ。この記事を覚えておられるだろうか。
「遅れ取り戻すほど評価」 死亡の運転士、友人に語る
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兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)で脱線した快速電車の高見隆二郎運転士(23)=死亡=が今年1月、友人らに「遅れを取り戻すことができる力量を持った運転士ほど社内で高く認められる」と話していたことが11日わかった。「カーブに入る際、ブレーキをかける位置をできるだけ遅らせる」と、職場で「回復運転」と呼ばれる手法についても具体的に語っていたという。
それによると、高見運転士は今年1月、中学時代の同級生が集まった飲み会で、「電車の出発が遅れたり、お客さんの乗り降りが長引いたりしたとき、(運転時間を)詰められるところで詰めなければならない。社内で『回復運転』と呼ばれ、結構難しい」と話題にしたという。
具体的には(1)直線区間でスピードを上げる時間を延ばす(2)カーブ手前の減速ポイントでブレーキをかける位置を遅らせると説明。これらの方法は「社内の運転マニュアルではなく、見習い時代に先輩から教わったり、職場で同僚からコツを聞いたりして覚えた」と語った。
高見運転士は昨年6月、JR学研都市線で約100メートルオーバーランし、訓告処分を受けた。その直後に会った際は落ち込んだ様子で、「偉い人の前で反省文や報告書を何度も書き直しさせられたり、本を全部写さなければならなかったりとても大変だ」と、社内で「日勤教育」とされる再教育の厳しさを打ち明けたという。
数週間後に再会したときは、「今回は何とか運転士をやめなくて済んだけど、今度やったら(乗務を)おろされるかもしれない。会社はミスに厳しく、運転士から車掌に戻る人も少なくない」と不安を漏らした。
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組織が従業員の何を評価するかによって、組織風土は作られていく。
組織のトップが、部下に、従業員に、何を求めるかで、組織風土は決まり、組織の価値は定まっていく。
今回の一連の会長、社長、専務の口から漏れ出てくる言葉をテレビで見、あるいは新聞記事やネットニュースで読む限り、組織風土は「命令と絶対服従」の軍隊的組織であったと言える。それが、「民営化」の名によってもたらされたことも、また歴然としている。
上司の命令には絶対服従である以上、人命救助のことなど思いも及ばないのは当たり前である。支社長の講演を優先し、上司とのコミュニケーションであるボーリング大会や宴会を優先するのも、これまた当たり前である。
自己に対する評価が、「遅れを取り戻すことができる力量を持った運転士ほど社内で高く認められ」、かつ給与も支払われるという組織の中にあって、「遅れを取り戻すことができない運転士は社内で認められず」、草むしりなどの見せしめ的「日勤教育」を受けて乗務を下ろされ、挙句の果てに手当てが減額され生活に困ってしまうという恐怖の中に居れば、上司の言うことには絶対的に服従しなければならなくなるのは、誰でも容易に察しがつく。
労組のサイトによると、
「JR西日本会社は、年功制賃金を廃止し、評価制度を全面的に導入した新しい賃金体系を提案してきました。
鉄道の最大の目的は、安全・確実にお客様を送り届けることであり、成果主義は全くなじみません。」と、ある。
また、「JR西労の組合員を敵視した労務政策と並行して、「評価」による賃金・昇進制度の導入を「活用」した高圧的な社員管理、逼迫した要員需給など、会社の労務管理と労働組合対策の実態があります。」とも述べている。
これは、よく言われる「成果主義・目標管理(面接)制度」のことであろう。これが実際には破綻していることは有名だが、ひとまず置いておく。
爺やが言いたいのは、上司の命令には絶対服従という環境の下で、更に労務管理を徹底するためのこのような評価制度のもとに置かれていれば、ただ単に成果主義の評価制度のもとで働く勤労者以上に、ストレス・緊張度は極度のものとなるだろう(もちろん、成果主義の評価制度だけであっても、それはそれで不合理極まりないことが多々あって、モチベーションは下がるし、企業としての業績も上がらないという問題はあるのだが)。
ここで、ニュースで拾った社長や専務の言葉を、もう一度よく確かめてみてもらいたい。
2005年5月14日(土)赤旗・朝日・Excite Newsより。
13日の衆院国土交通委員会での垣内社長と徳岡研三専務・鉄道本部長の答弁。
垣内社長:
「国鉄の時代と違ってしっかり仕事をしてきた。指揮命令系統についてはそれなりにきちんとしたことができた。」
(企業のトップともあろう者が、人命救助を優先するのか、それとも上司の命令を優先するのか、大切なものは何なのか自分で判断することができないようにしてしまう「指揮命令系統」、これに問題は無いかのような認識でいる。このことが、まず問題だろう。)
垣内社長:
自身の責任について問われ、被害者や遺族への対応、安全性向上計画や運行再開に取り組むとしながら、「今回の事故で一番痛みを感じている私こそが前面に立って企業風土の改革をやらねばならない。そういった事柄が責任の取り方の一つではないか。」とのべ、当面の辞任を否定しました。
(先に述べたような、人間としても、企業人としても、誤りを誤りと認識できない者が「企業風土の改革」なんぞ、できるわけが無い。言葉で百万回「一番痛みを感じている」というフレーズを口から吐き出したとしても、それは単に、プリテンドでしかない。)
徳岡研三専務・鉄道本部長:
5月13日の衆院国土交通委員会で、社内での日勤教育が懲罰的だと指摘されていることについて、「事故再発防止の観点から必要な教育を実施しており、大部分の再教育は趣旨にのっとって実施している。ただ社員の受け止め方として一部例外的にやや疑義のある部分があったと考えられるので、今後検討したい。」
事故で死亡した運転士が昨年6月にオーバーランを起こした際に受けた日勤教育については「管理者の指導のもとレポートをまとめさせるなどの再教育を行った。必要かつ適正だったと考える。」
(あの「日勤教育」の内容は「事故再発防止の観点から必要な教育」で、「大部分の再教育は趣旨にのっとって実施している」から問題ない、と言っているに等しい。「ただ社員の受け止め方」に「一部例外的にやや疑義のある部分があった」ことが問題だと言う。悪いのは「受け止め方」の悪い社員なのだと言う。)
徳岡研三専務・鉄道本部長:
また、オーバーランなどミスをした乗務員に草むしりなどをさせる「日勤教育」について「他社の例も参考に検討したい。」
(誰がどう考えたって、「草むしりなどをさせる」ことが、「事故再発防止の観点から必要な教育」とは言えない。にもかかわらず、こんなことを平然と言ってのける以上、「他社の例も参考に検討」する内容とは、いったいどのようなものにしていくというのだろうか。「検討」した結果、当初国会で答弁したように、悪いのは社員の受け止め方であるので、教育内容は変更しません、ということになることが十分予想される。)
垣内社長:
JR西日本の経営理念についても「安全優先をする企業風土の構築という観点から、見直しを議論したい」と表明し、改善すべき点があったことを認めた。
「企業の風土を変えたい。一から出直して、恥ずかしいことの絶対起こらない企業にしなければならない」
また、快速電車が衝突したマンションについて、垣内社長は「買い取って慰霊碑的なものを作ることも検討するべきではないか」という委員の質問に、「住民とはいろいろな話をさせていただきたい。買い取って慰霊的なものをつくることも、大変重要な課題のひとつ」と前向きに検討する姿勢を見せた。
(ここに見られる特徴的な言い回しは、「検討する/したい」、「議論したい」、「〜しなければならない」など、どれをとっても「こうします」というものではない。逃げの言葉、他人事(ひとごと)のようなモノの言い方である。これは、信楽高原鉄道事故以来培ってきた、何を言われようが決して実行しないという経営姿勢の賜物であろう。)
「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」、「人の噂も七十五日」とばかりに、今必死に耐えて凌いでやり過ごそう、という姿勢を、モロに表している言葉の羅列である。
だから、電車に乗り合わせた2人の運転士が乗客を救助しなかったことや、社員が宴会やボウリング大会に出ていた問題も「本当に信じられない、情けない気持ち。決められたことさえすればいいという風潮が出ていたのかもしれない」と、まるで他人事のように言えるのだろう。とてもトップの言葉とは思えないはずだ。
なお、「安全対策全般を見直すためには外部の視点が必要だという認識を示し、第三者を起用した「安全諮問委員会」の設置を検討していることを明らかにした」そうだが、これも方便の一つと見るべきだろう。本気で改善する気があるのなら、諮問委員会ではなく、新たに外部から、それを担当する役員が役員会に加わるべきだろう。諮問委員会の結論には拘束性があるようで無いから、ザルになることが十分考えられるからだ。
朝日新聞5/13(金)の"opinion news project"に、「前提まだ整っていない」と題して、作家の辻井 喬氏が一文を寄せていたが、この一文、大いに賛成である。
このブログの最初の記事に取り上げるのに相応しいものであるので、ご意見番としての爺やの思いを述べておこう。
辻井 喬、本名は堤 清二。よく知られるように、西武グループの創業者である故・康次郎氏の次男で、西武百貨店を核に、西友、パルコ、クレディセゾン、インター・コンチネンタル・ホテルズなどグループ総売上げ四兆円強を誇る一大セゾングループを築き上げた堤清二氏の筆名である。
その実業家の顔を持つ彼の言葉は、ただの評論家諸氏の言葉と違って、相当な重みを持っている。耳を傾けるのに相応しいと言える。彼の言葉に耳を傾けながら、爺やもコメントを差し挟んでいこう。
非常に多くの経済人や外交関係者から「国連安保理常任理事国入りの条件を日本は満たしている」との声を聞く。日本は国連予算にも国際的な途上国援助(ODA)にも貢献しているのだから、と。
しかし私は、その意見に賛同できない。
国連は平和のための国際機関だ。その中核である安保理が抱える最大の課題は、米国の単独行動主義への対応だろう。米政府は国連を無視してイラク攻撃に踏み切った。このような単独行動ぶりをどう抑えるか、である。
日本政府は当時、米国に追従して、武力行使を後押しする役割を果たした。同じ常任理事国入りを目指す国家でも、ドイツが見せた慎重姿勢とは対照的だった。国際平和主義という国連の原点に照らしたとき、現在の日本が常任理事国入りの前提を満たしているとは思えない。
そもそも現在の日本政府に、独立した思考や意思があるかどうかさえ疑問だ。他国から「日本の常任理事国入りは米国の票を増やすだけ」と言われるのは当然である。
国際社会の一員としての責務を果たしているかどうか、という点でも問題がある。
「60年も経ったのだから戦勝国も敗戦国もなかろう」という漠然とした感情を間違っているとは思わないけれど、「60年たった今も、信頼してくれる仲間がアジアにいない」という日本の現実も見る必要がある。第2次大戦に至った歴史の決算をまだ終えていないということだ。
(ここだ。ここが最も肝心なところだ。小泉首相やその他の政治家も含めて、戦争体験を持たない今の若造(ワカゾウ)は、相手に思いやる気持ちというものが無いようだ。60年もたって、未だに信頼してくれる仲間がいないなんて、救いようの無い独善家、大ばか者としか言えまい。)
周辺国との和解に積極的に取り組んできたドイツとは、この点でも対照的である。中国と韓国が日本の常任理事国入りに反対している事実もまた、常任理事国入りの前提が整っていないことの表れだと見るべきだろう。
現在の世界は、米国発のグローバル化という現象によって挑戦を受けている。イラク戦争の現実が示唆するとおり、放っておけばこの流れはアジアを含む各国の文化的固有性を破壊していく。文化的な独自性と多様性を擁護することが世界的課題なのだ。日本の貢献も、こうした方向へ向かうべきだろう。
(今まさに、日本の中から日本的なものがどんどん失われていきつつあると見るのは、爺やだけだろうか。日本という国の文化的固有性が破壊されていきつつあるのではないのか。文化的な独自性と多様性を擁護することは、日本的なものを守る上で必要なことなのだ。自分の自分らしさを守ろうとすれば、相手のその人らしさを尊重しなくては始まらないのだ。)
その観点から近代日本史を振り返ったとき、最も国際感覚が光っていたのは明示25年(1892年)前後までだったと私は見ている。軍事力も経済力もないその時期に、政府は海外列強の力学を冷静に読んでいた。帝国主義的なグローバル化の圧力の中で文化的な独自性を守ろうとしたのだ。
しかし、その後は、軍事力を背景にした外交で敗戦に至った。戦後は経済力を背景にしたけれど、「商品が売れないから武器輸出への道を開こう」という最近の経済界や政府のモラル低下を見ると、「経済オンリーで、倫理や文化への尊敬を欠く国になってしまったのでは」との懸念がぬぐえない。
(最近の、尼崎事故を起こしたJR西の、社長や会長、企業そのものの対応・態度を見ていると、まさにその通りだ。)
国際社会で名誉ある地位を得たいなら、日本は平和憲法の価値を世界に訴えていくべきだ。「核武装をしない」「海外派兵をしない」「徴兵制を敷かない」という3原則の確立である。それこそが、歴史に基づく国家の特性を生かした貢献であり、日本のなしうる最大の貢献であろう。
その際、自衛隊の海外活動は、国連安保理の発動する平和維持活動に限定する。「国連中心主義」は、そのような形で生かすべきだ。
常任理事国入りという政策は、こうした国家理念を明確にし、近隣諸国を含む国際社会からの理解を得た上で、検討すべきものだろう。
このブログの最初の記事に取り上げるのに相応しいものであるので、ご意見番としての爺やの思いを述べておこう。
辻井 喬、本名は堤 清二。よく知られるように、西武グループの創業者である故・康次郎氏の次男で、西武百貨店を核に、西友、パルコ、クレディセゾン、インター・コンチネンタル・ホテルズなどグループ総売上げ四兆円強を誇る一大セゾングループを築き上げた堤清二氏の筆名である。
その実業家の顔を持つ彼の言葉は、ただの評論家諸氏の言葉と違って、相当な重みを持っている。耳を傾けるのに相応しいと言える。彼の言葉に耳を傾けながら、爺やもコメントを差し挟んでいこう。
非常に多くの経済人や外交関係者から「国連安保理常任理事国入りの条件を日本は満たしている」との声を聞く。日本は国連予算にも国際的な途上国援助(ODA)にも貢献しているのだから、と。
しかし私は、その意見に賛同できない。
国連は平和のための国際機関だ。その中核である安保理が抱える最大の課題は、米国の単独行動主義への対応だろう。米政府は国連を無視してイラク攻撃に踏み切った。このような単独行動ぶりをどう抑えるか、である。
日本政府は当時、米国に追従して、武力行使を後押しする役割を果たした。同じ常任理事国入りを目指す国家でも、ドイツが見せた慎重姿勢とは対照的だった。国際平和主義という国連の原点に照らしたとき、現在の日本が常任理事国入りの前提を満たしているとは思えない。
そもそも現在の日本政府に、独立した思考や意思があるかどうかさえ疑問だ。他国から「日本の常任理事国入りは米国の票を増やすだけ」と言われるのは当然である。
国際社会の一員としての責務を果たしているかどうか、という点でも問題がある。
「60年も経ったのだから戦勝国も敗戦国もなかろう」という漠然とした感情を間違っているとは思わないけれど、「60年たった今も、信頼してくれる仲間がアジアにいない」という日本の現実も見る必要がある。第2次大戦に至った歴史の決算をまだ終えていないということだ。
(ここだ。ここが最も肝心なところだ。小泉首相やその他の政治家も含めて、戦争体験を持たない今の若造(ワカゾウ)は、相手に思いやる気持ちというものが無いようだ。60年もたって、未だに信頼してくれる仲間がいないなんて、救いようの無い独善家、大ばか者としか言えまい。)
周辺国との和解に積極的に取り組んできたドイツとは、この点でも対照的である。中国と韓国が日本の常任理事国入りに反対している事実もまた、常任理事国入りの前提が整っていないことの表れだと見るべきだろう。
現在の世界は、米国発のグローバル化という現象によって挑戦を受けている。イラク戦争の現実が示唆するとおり、放っておけばこの流れはアジアを含む各国の文化的固有性を破壊していく。文化的な独自性と多様性を擁護することが世界的課題なのだ。日本の貢献も、こうした方向へ向かうべきだろう。
(今まさに、日本の中から日本的なものがどんどん失われていきつつあると見るのは、爺やだけだろうか。日本という国の文化的固有性が破壊されていきつつあるのではないのか。文化的な独自性と多様性を擁護することは、日本的なものを守る上で必要なことなのだ。自分の自分らしさを守ろうとすれば、相手のその人らしさを尊重しなくては始まらないのだ。)
その観点から近代日本史を振り返ったとき、最も国際感覚が光っていたのは明示25年(1892年)前後までだったと私は見ている。軍事力も経済力もないその時期に、政府は海外列強の力学を冷静に読んでいた。帝国主義的なグローバル化の圧力の中で文化的な独自性を守ろうとしたのだ。
しかし、その後は、軍事力を背景にした外交で敗戦に至った。戦後は経済力を背景にしたけれど、「商品が売れないから武器輸出への道を開こう」という最近の経済界や政府のモラル低下を見ると、「経済オンリーで、倫理や文化への尊敬を欠く国になってしまったのでは」との懸念がぬぐえない。
(最近の、尼崎事故を起こしたJR西の、社長や会長、企業そのものの対応・態度を見ていると、まさにその通りだ。)
国際社会で名誉ある地位を得たいなら、日本は平和憲法の価値を世界に訴えていくべきだ。「核武装をしない」「海外派兵をしない」「徴兵制を敷かない」という3原則の確立である。それこそが、歴史に基づく国家の特性を生かした貢献であり、日本のなしうる最大の貢献であろう。
その際、自衛隊の海外活動は、国連安保理の発動する平和維持活動に限定する。「国連中心主義」は、そのような形で生かすべきだ。
常任理事国入りという政策は、こうした国家理念を明確にし、近隣諸国を含む国際社会からの理解を得た上で、検討すべきものだろう。
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