代表委員のかなりのメンバーが、過去の戦争と植民地支配を美化した「新しい歴史教科書をつくる会」の中心人物と重なっている「新しい教育基本法を求める会」(会長・岩手県立大学長の西澤潤一氏、事務局長・高橋史郎氏、その他・坂本多加雄学習院大学教授、西尾幹二電気通信大学教授など)は、2000年9月18日付で、当時の森喜朗首相に対し「新しい教育基本法への6つの提言」を出しているが、その第4の提言「国家と地域社会への奉仕」の冒頭で「国家の安全を確保」することを強調したうえで、「普通教育(小・中・高校)の児童・生徒には、国家・社会に対する奉仕活動を通じて、共同体に属する自己の存在と使命を発見させることが望まれます」と述べている。
彼らの考え方は、「伝統の尊重と愛国心の育成」という第1の提言に、はっきりとあらわれている。
「古来、私たちの祖先は、皇室を国民統合の中心とする安定した社会基盤の上に、伝統尊重を縦軸とし、多様性包容を横軸とする独特の文化を開花させました。教育の第一歩は先ずそうした先人の遺産を学ぶところから発しなければなりません。」
つまり、あらためて天皇=「皇室」を「中心とした「国民統合」のシステム、「国民」の気分・感情を天皇に吸い上げていく機構と精神動員の装置として学校教育を再編成しようとするところに、「教育基本法」改悪の中心的なねらいがあると言える。
その第4の提言「国家と地域社会への奉仕」の後半では、次のように述べられている。
「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々が増えれば、公・私関係の調整に困難をきたし、ひいては国民経済の地盤沈下、諸外国との協調関係の崩壊を招くことになりかねません。」
これほど盗人猛々しい論理のすりかえはない。
「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々」とはスズキ・ムネオに象徴されるような、自民党の利益バラマキ型の政治家であり、それに追随した高級官僚とおこぼれにあずかろうとした企業の大人たちではなかったのか。
「公・私関係の調整に困難をきたし」「国民経済の地盤沈下」を招いたのは、バブルを崩壊させ、そのあとも有効な経済再建政策を出せない、歴代自民党内閣と銀行や大企業の首脳たちであり、その後の連立与党ではなかったのか。
そして、「諸外国との協調関係の崩壊」を招いたのは、靖国公式参拝をつづける小泉純一郎首相や石原慎太郎都知事であり、彼らが支援する「新しい歴史教科書をつくる会」の、侵略戦争と植民地支配を美化する歴史教科書問題だったことはあきらかである。
こうした日本社会のトップに立つ大人たちの集団的モラル・ハザード(倫理の欠如)を隠すために、
「学校崩壊」や「学力崩壊」そして「いじめ」キャンペーンが行われ、「17歳」をはじめとする子どもたちを世代敵(ジェネレーション・エネミー)のようにマスコミは描きだしてきたのだ。
「教育基本法」にその当初から攻撃をかけ、その十全な運用を阻んできた政治勢力の責任を押し隠すために、反教育・「反教育基本法」報道は機能してきたのであり、ジャーナリズムの責任は極めて重大である。
ではなぜこれほどまでに、日本の右派保守勢力は、「教育基本法」を敵視し、教育現場攻撃に躍起になるのだろうか。
この続きは、爺やを唸らせ、ここに引用した文章の大元を、ぜひご覧戴きたい。引用元は、こちら。
彼らの考え方は、「伝統の尊重と愛国心の育成」という第1の提言に、はっきりとあらわれている。
「古来、私たちの祖先は、皇室を国民統合の中心とする安定した社会基盤の上に、伝統尊重を縦軸とし、多様性包容を横軸とする独特の文化を開花させました。教育の第一歩は先ずそうした先人の遺産を学ぶところから発しなければなりません。」
つまり、あらためて天皇=「皇室」を「中心とした「国民統合」のシステム、「国民」の気分・感情を天皇に吸い上げていく機構と精神動員の装置として学校教育を再編成しようとするところに、「教育基本法」改悪の中心的なねらいがあると言える。
その第4の提言「国家と地域社会への奉仕」の後半では、次のように述べられている。
「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々が増えれば、公・私関係の調整に困難をきたし、ひいては国民経済の地盤沈下、諸外国との協調関係の崩壊を招くことになりかねません。」
これほど盗人猛々しい論理のすりかえはない。
「国家・社会との関わりを無視して個人生活の充実に専念する人々」とはスズキ・ムネオに象徴されるような、自民党の利益バラマキ型の政治家であり、それに追随した高級官僚とおこぼれにあずかろうとした企業の大人たちではなかったのか。
「公・私関係の調整に困難をきたし」「国民経済の地盤沈下」を招いたのは、バブルを崩壊させ、そのあとも有効な経済再建政策を出せない、歴代自民党内閣と銀行や大企業の首脳たちであり、その後の連立与党ではなかったのか。
そして、「諸外国との協調関係の崩壊」を招いたのは、靖国公式参拝をつづける小泉純一郎首相や石原慎太郎都知事であり、彼らが支援する「新しい歴史教科書をつくる会」の、侵略戦争と植民地支配を美化する歴史教科書問題だったことはあきらかである。
こうした日本社会のトップに立つ大人たちの集団的モラル・ハザード(倫理の欠如)を隠すために、
「学校崩壊」や「学力崩壊」そして「いじめ」キャンペーンが行われ、「17歳」をはじめとする子どもたちを世代敵(ジェネレーション・エネミー)のようにマスコミは描きだしてきたのだ。
「教育基本法」にその当初から攻撃をかけ、その十全な運用を阻んできた政治勢力の責任を押し隠すために、反教育・「反教育基本法」報道は機能してきたのであり、ジャーナリズムの責任は極めて重大である。
ではなぜこれほどまでに、日本の右派保守勢力は、「教育基本法」を敵視し、教育現場攻撃に躍起になるのだろうか。
この続きは、爺やを唸らせ、ここに引用した文章の大元を、ぜひご覧戴きたい。引用元は、こちら。
トイレの落書きで謹慎から退学?(1)・(2)[5/21・5/26]で書いていたことに関して、県立高校での懲戒手続きを調査していた埼玉県教育委員会の調査結果が7月4日に発表されたと、「きょういくブログ」さんの記事(7月5日付)に載っていた。
埼玉県教委生徒指導室は、問題のあった高校では「教員組織の連携が不十分なうえ、校長のリーダーシップが欠如」などで、県立高校全体としてみればきわめて例外的な事例らしいが、「きょういくブログ」さんの言われるように、
・・・「高校での生徒への懲戒処分は、一般的には正当な手続きでおこなわれている限りは学校の裁量内である。だが、問題のあった高校では、正当な手続きを踏まないまま教師が「懲戒」を恣意的に悪用した、生徒への人権侵害が日常的に横行していたのではないかと考えられる。」・・・
・・・なら、やはり問題だ。
埼玉は高教組が分裂しているようだが、まともな教師のやることではないだろう。
埼玉県教委生徒指導室は、問題のあった高校では「教員組織の連携が不十分なうえ、校長のリーダーシップが欠如」などで、県立高校全体としてみればきわめて例外的な事例らしいが、「きょういくブログ」さんの言われるように、
・・・「高校での生徒への懲戒処分は、一般的には正当な手続きでおこなわれている限りは学校の裁量内である。だが、問題のあった高校では、正当な手続きを踏まないまま教師が「懲戒」を恣意的に悪用した、生徒への人権侵害が日常的に横行していたのではないかと考えられる。」・・・
・・・なら、やはり問題だ。
埼玉は高教組が分裂しているようだが、まともな教師のやることではないだろう。
県教委 懲戒手続き全県調査
謹慎解除せず生徒留年 web埼玉(05/05/26)
県西部の県立高校で女子生徒が謹慎処分(自宅待機)を受けた後、解除のないまま留年した問題で、稲葉喜徳教育長は二十五日、生徒に対する懲戒処分の手続きが適正に行われているかどうか、全県立高校に対して調査することを明らかにした。問題となった女子生徒への対応について、教育長は「学校管理上、極めて問題がある。校長の処分も含め検討したい」としている。
県の基準で生徒の懲戒処分は退学、停学、謹慎、戒告の四種類。停学は最長一カ月、謹慎は最長二週間となっている。調査では懲戒処分の手続きが基準に沿って行われているかどうか、処分をする際に適切な理由があったかどうか―などを調べる。時期や質問事項はまだ未定だが「早急に実施したい」(県教委)としている。
県教育局生徒指導室によると、問題の県西部の県立高校では、謹慎などの正規な処分の申し渡しをせず、「自宅待機」と呼ばれる方法で登校できなかった生徒が本年度に入り九人いる。このうち四人は今月二十四日まで自宅待機をしていた。県教育局の指導により、三人は二十五日、登校したという。
ここから見えてくることは、いったい何だろうか。
どなたかのコメントで、
「こういうのは記事に書かれているほど単純な話じゃないはず。」とか、「トイレの壁に猫の絵でも描いたぐらいで謹慎にするわけがない。」とか、「教員が数十人も会議していれば」、「職員会議で否決されるはず」
と、あるが、「はず」や仮定でものを言ってもらっては、それこそ困る。「現場を知る者に言わせてもらえば」と仰るのなら、なおさら「この高校では、これこれこういう実態なんだ。例の女子高生の態度はこうなんだ」、「職員会議ではこういう風に話し合い結論を出した」などの具体的な言及と、だからこそ規則に則って適正な処分を下したなどの説明でなければ、説得力は無い。
今回の記事で問題となっているのは、「懲戒処分の手続きが基準に沿って行われているかどうか、処分をする際に適切な理由があったかどうか」である。更に、「問題の県西部の県立高校では、謹慎などの正規な処分の申し渡しを」していない、ということだ。
考えても見たまえ。気に入らない奴をクビにする大人の社会でさえ、就業規則に則って訓告やら戒告、懲戒等々の処分を下すんだ。
例のJR西の場合でも、オーバーランが10メートル以上ならボーナス5万カットという規則に則っていたんだ(もちろん、そういう規則の良し悪しは別にしてだ)。だが、高校生に対しては、「正規な処分の申し渡し」すら必要ないとでも言いたいのだろうか。そんな手前勝手な言い分を押し通す教師集団がゴロゴロいる高校とは、いったいぜんたい、日本はどうなっているんだと言いたい。
教師とは、そんなに偉いのか。それで人権を云々するとは、いまどきの教師は、いったい何様のつもりでいるのか、と言いたいのだ。
尤も、身近に、そういう、まともで、真面目な教師がいるから、わたしとしては、埼玉にもまともな教師が少なくないと信じてはいる。
埼玉県立高の女子生徒、「強制謹慎」で留年(YOMIURI ONLINE)
「埼玉県西部の県立高校2年の女子生徒(17)が昨年度、学校から謹慎処分を受けた後、自主退学を求められるなどして約10か月登校できずに留年した上、復帰した今年度も約1か月クラスが決まっていなかったことがわかった」そうだ。
「生徒と家族によると、生徒は昨年6月、校内のトイレの壁に落書きし、数日後、謹慎処分を言い渡された。7月の期末テストは別室で1人で受けたが、下校時に他の生徒と接触したなどとして、以後の登校を禁止され、その後、自主退学を求められた。」
おいおい、「トイレの壁に落書き」くらいで、何で謹慎だの、退学になるのっ!?
まるで、JR西の乗務員に対するいじめそっくりじゃないか。いやいや、逆だな。
大人のいじめが子どもの世界に広がっていると見るべきだな。
「県の基準では謹慎処分は最長2週間で、県教育局は学校の対応が不適切だったことを認めている。」ようだが、先生一人の問題じゃなく、これは教育界全体の問題じゃないか。
日本という国は、いったい子どもをどんな人間に成長させたいのか。
「埼玉県西部の県立高校2年の女子生徒(17)が昨年度、学校から謹慎処分を受けた後、自主退学を求められるなどして約10か月登校できずに留年した上、復帰した今年度も約1か月クラスが決まっていなかったことがわかった」そうだ。
「生徒と家族によると、生徒は昨年6月、校内のトイレの壁に落書きし、数日後、謹慎処分を言い渡された。7月の期末テストは別室で1人で受けたが、下校時に他の生徒と接触したなどとして、以後の登校を禁止され、その後、自主退学を求められた。」
おいおい、「トイレの壁に落書き」くらいで、何で謹慎だの、退学になるのっ!?
まるで、JR西の乗務員に対するいじめそっくりじゃないか。いやいや、逆だな。
大人のいじめが子どもの世界に広がっていると見るべきだな。
「県の基準では謹慎処分は最長2週間で、県教育局は学校の対応が不適切だったことを認めている。」ようだが、先生一人の問題じゃなく、これは教育界全体の問題じゃないか。
日本という国は、いったい子どもをどんな人間に成長させたいのか。
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