ご意見番の雷、一喝!

日々起きている問題や、余りにも無責任な大人たちの態度に、時には辛口の、また時には怒りの、それぞれ批評を、爺やがご意見番として展開する。

 今朝の朝日新聞朝刊に、JR西 山崎次期副社長候補のインタビュー記事が載っていた。

 そこで、まず何に着手するかという質問に、彼はこう答えている。
 「国に提出した「安全性向上計画」に私なりの考えを肉付けして実行する。・・・今までと違う開示ルールを採り入れるかもしれない。」

 さらに、OBの目から見て今の問題は?という記者の質問に対して次のように応えている。
 「現場に人が行かなくなった。以前は本社の人が駅に行き、乗り換えや時刻表などの問題点について現場と話し合って対応策を考えたものだ。今は自分の責任範囲以外は口出ししなくなった。大企業病を感じる。」

 これらの言葉から、私は今後のJR西の再生を期待したいのだが、しかしながら、一抹の不安をも覚える。

 同じく今朝の読売新聞朝刊に載っていた「トップ決意 歯切れ悪く」の大見出しのもと、「国が手取り足取り JAL策に酷似の声も」の中見出しが躍り、記事を読んでみると、社員のこんな声が紹介されていたからだ。

 「公開された同計画を見た社員の一人は、その回りくどい表現に「上層部は、まだまだ反省が足りない」と言い切った。」

 「また別の社員は、「以前にも、現場の社員が意見を言う機会が設けられたが、結局、人事管理に結び付けられ、誰も何も言わなくなった。同じ過ちを繰り返さないでほしい。」と話した。」

 「改善と被害者への保障などの目処をつけるのが責任」と言って残留した会長・社長の提出した「安全計画」が、「国から手取り足取り」指導を受けなければならなかったものであり、したがって「点数をつければ65点。危機管理の視点や経営戦略が欠けている」(日本リスクマネジメント学会長・亀井利明・関西大名誉教授)と言われたり、経営評論家の江坂彰氏から「官僚の作文という色合いが残っている」と指摘されるようでは、たとえ山崎氏が安全性向上担当副社長に就いたとしても、はたして本当に再生できるのだろうかと不安に駆られる。

 社員も同じような不安を抱いているからこそ、あのような手厳しい声が上がるのではないだろうか。

 実際、例の「日本型「成果主義」の可能性」の読者である私から見れば、社員のあの声が、この先のJR西を暗示しているように思われる。いくら「「事故の芽」の報告内容は、マイナス評価の対象から除外する」と「計画骨子」に述べられていても、具体的な実施計画はこれからだ。実施計画が具体的になっていった段階で、やっぱり人事管理に結び付けられてしまえば、再び「誰も何も言わなくな」る。「自分の責任範囲以外は口出ししなくな」るだろう。

 そういう意味からすれば、これからの成り行きを、私たちは、注視していかなければならないと思う。

 それが、事故で亡くなられた方たちへの弔いであり、また自分の仕事を投げ出して救援救助活動に当たられた近所の多くの方へのお礼ではないだろうか。
「運転再開は白紙」 国土交通事務次官(共同通信) - 5月30日17時23分更新

31日、復旧工事再開=「住民の理解得られた」−JR西(時事通信) - 5月30日23時2分更新

再開の了解求め戸別訪問 住民へ説明続行(共同通信) - 5月30日23時29分更新


 この混乱振りの原因は何だろうか。

 29日に読売が報じた「福知山線再開、来月13日で調整…国交相がJR西査察」2005年05月29日(日) の記事が、JR西トップの心の奥底を如実に物語っているのではないだろうか。

 「北側国交相は29日、国交省幹部ら8人とともに、JR西日本本社で、垣内剛社長や南谷昌二郎会長らと面談し、同社が今月末に国交省へ提出予定の安全性向上計画について説明を受けた。

 これに対し北側国交相は「社長自らが先頭に立って再発防止策を検討し、トラブルやミスの隠ぺいをなくす企業風土作りをしてほしい」と要望した。」

 「安全性向上計画について北側国交相は記者会見で、「国交省への提出文書ではなく、被害者や多くの利用者、一般国民に発する最初の文書という位置づけで作ってもらいたい」と、改めて注文を付けた。」

 垣内剛社長や南谷昌二郎会長の二人は、被害者への保障等に全力を尽くすために、敢えて社に残ることにした、と言っていた。

 北側国交相から改めて注文を付けられるほど酷い内容だったことは、「被害者への保障等に全力を尽くすために」などとは心の中ではこれっぽっちも思ってはいない、と思わざるを得ない。

 どうにかして、この場を切り抜け、早く儲けたい。そんな焦りが見え隠れする、と見るのは私一人の穿った見方であろうか。

 体だけでなく、心に大きな傷を負った人が大勢いることを、そしてまた、近辺に住む多くの人たちが誰よりも早くかつ一生懸命救助活動をしていたことを、彼ら二人は何とも思っていないようだ。でなければ、近所の住人に十分な説明をすることを厭わないし、それが普通の市民の感覚だろう。

 異なる見方もあるだろうが、この二人に、事故から教訓を引き出して問題の根本的な解決を任せても、成し遂げないのではないだろうか。

今日の読売新聞に「JR労組、チェック機能失った?」という記事が載っていた。詳しくはこちら

 「効率化、スピード化によって会社が収益を上げることを組合は否定してこなかった。しかし、振り返れば余りにもどん欲すぎた」。組織率87%の同社最大労組「西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)」の森正暁委員長は自戒の念を込めて語り、国労西日本の上村隆志委員長も「労組としても事故の責任は痛感している」と語っている。

 「最大労組ゆえの批判も多いが、その一方で、労使協調の労組が陥りがちな〈落とし穴〉もある」として、甲南大経済学部の熊沢誠教授(労使関係論)の話を載せている。

 「労使協調のもと、秒単位の労働管理は進み、効率主義によって安全への現場の意識は低下し、組合も労働者の苦しみや意見を吸い上げるという本来の機能を失っていく。今回の事故には、日本の労働現場の悲劇が象徴的に表れている。」

 教授は続けて、こう訴えていた。
 「組合は、労働者の立場から会社にきちんとものを言い、緊張感のある労使関係を築かねばならない」


 ところが、このJR西の事故をきっかけとして明らかになってきた「事故と労組の関係」と似たようなことが、実はあちこちで起きていることに、慄然とせざるを得ない。

 一つは日航の問題。航空労組連絡会の「日本航空に出された警告・事業改善命令に関する見解」を読むと、今回の尼崎事故問題とそっくりなことが分かる。

 もう一つはNTTの違法・脱法の理不尽なリストラ問題。私がJR西に通じる問題だと思うのは、以下の点だ。

 「毎年繰り返される50才で「会社選択」という「50才退職・賃下げ再雇用」。
 これは通信産業労組の言うとおり、「法律違反であり、NTTグループ労働者の働くルールにも反しており、直ちに廃止されるべきもの」だ。

 更に、「今、NTT東・西会社は、やむなく「退職・再雇用」に応じ、地域子会社へ移行した労働者に対して、「約束違反」である異職種・広域配転を押しつけようとしています。こんな約束違反であり理不尽なやり方は、社会一般には通じないものです。」という意見には賛同できる。

 詳しくは、「NTT 50歳定年 リストラ11万人」を読んでみてほしいものだ。


 これらに共通するのは、リストラを名目に、出向・配転・転籍・退職強要、そして解雇。企業の生き残りをかけた危機宣伝に抵抗せず、加担する労使協調路線の労働組合と、労働者の価値を生産性重視で評価する風潮。

 ここには、「企業は誰のためにあるのか?」という問題、つまり社会的責任やコンプライアンス経営(倫理・法令遵守による経営)の理念の欠如が見て取れる。

 企業も国の政治も、いま国民との間で大きな軋みを立てていると思う。

 このままで良いはずがない。

※なお、あらかじめ、私はJR西労を擁護するつもりは微塵もないことを断っておく。JRの全労組(特に中心的な幹部)に、企業と同等の責任があると思っている。それだけでなく、国にも同等もしくはそれ以上の責任があると思っている。
「私服で乗務を監視、事故後も運転士に圧力、ビデオで隠し撮りまで、JR西日本」しんぶん赤旗(5/20)

 福知山線の列車脱線事故を起こしたJR西日本で、管理職指導員が私服で列車に乗り込んで客を装って背後から運転士をこまかくチェックする行為が事故後も広島支社でおこなわれていたことが関係者の話でわかりました。こうした「監視」の結果、「日勤教育」という名前の“いじめ教育”もおこなわれたことが問題になっており、同社の体質があらためて問われます。

 広島支社の運転士、西海信利さん(45)は、私服による監視の結果、運転室の施錠忘れや信号喚呼の声量が小さかったことを理由に二〇〇二年に処分を受けました。

 「ボーナス五万円と昇給四分の一カット。一カ月の車両清掃を義務付ける日勤教育を受けた。現場所長ら五人から尋問され、『病院でも行くか』『いい先生紹介しよか』などとののしられた」と語ります。

 この記事を読んでいて、ふと思い出したことがある。高橋伸夫著「虚妄の成果主義」(日経BP)の次のくだりだ。

 「会社が人を辞めさせようとする理由は、その人の業績が悪いからではない。」

 「高業績はリスク・ヘッジにはなるが、それが社内評価の向上には必ずしも直結しない。

 このこと(=業績と評価[by 管理人])が論理的に区別して理解できれば、1990年代後半から日本企業に怒涛のように押し寄せてきた成果主義の正体が見えてくる。

 これは切る側の論理としてはまことに便利で、成果が低いときにはリストラや賃金カットの留め金が外れる。しかし、仮に成果が上がったとしても、リストラこそ逃れられるだろうが、それが評価に直結するなどとは思わない方がいい。成果と評価は別物だからである。」(「はじめに」より)

 「教育」に名を借りた「監視」が続く限り、大惨事は繰り返されるだろう。

 話は逸れるが、もっと問題なのは、この手の「教育」が、小中学校や高校教育の現場でも起きているということだ。

 日本全体が、大人から子どもに至るまで、監視と強制に縛られる社会になってきた。いや、より一層強化されてきたと言うべきか。

 今回の事故の原因を考えると、左サイドバーで紹介している斎藤 貴男著「成果主義神話の崩壊」で紹介されている労働現場を想起してしまう。

 読んでいない方は、ぜひ読んでみてほしい。

 もともとあったであろう懲罰主義の労務管理に、目標(面接)管理制度を中核とした成果主義が加わったが故の、行き着いた先のようだ。

 上司との面接で悪い印象を与えて評価を落とされ給与・ボーナスを下げられてしまうことのないように、上司にはゴマをすり、言われたことには逆らわず、たとえミスってもウソの報告で誤魔化し、自分の評価に関係ないことには、たとえ周りの人間が呻き苦しんでいようとも、オレの足を引っ張るなとばかりに見て見ぬふりを押し通し、行き着く先は無関心となる。このように上司の言うことに忠実に従うことを続けていれば、それが当たり前の仕事の仕方として染み付いてしまう。

 経営側の9割「問題あり」成果主義に悩む労務担当者という記事を覚えているだろうか。そのうち消されてしまってはいけないので、全文紹介しておこう。
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 「成果と評価の判定が難しい」「本当に個人の成果を引き出しているか疑問」。民間調査機関の労務行政研究所(猪股靖理事長)が成果主義人事・賃金制度について、大手企業の労使にアンケートした結果、経営側の88%、労働側の94%が「問題がある」と回答したことが20日、分かった。

 1990年代後半から急速に導入が進んだ米国型成果主義だが、日本型の人事処遇制度やチームプレー重視に必ずしもなじまずに各企業が悩んでおり、運用面で修正の方向に進んでいることが分かる。

 調査は昨年12月から今年1月にかけて、大手企業の労使を対象に実施し、219人から回答を得た。

 労務担当役員の回答で「問題がある」(複数回答)とした項目のトップは「評価・目標管理制度」(93%)で、次いで「社員のモチベーション」(46%)だった。
(共同通信) - 3月20日16時1分更新
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 また、「内側から見た富士通」著者のサイトでは、上記の記事のコメントを載せている。こちら
 コメント内容が消されることはないと思うが、念のため紹介しておく。

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 労務行政研究所が大企業を対象に調査を行った結果、なんと経営側の9割近くが成果主義に問題があることを認めたとのこと。

 普通、経営側はこういう問題をなかなか認めたがらない傾向がある(特に人事部門)。経営陣にしても、なかなか一般社員の評価制度までは実態を知らないケースがほとんどで、従業員の意識とはかなり温度差があるものだ。

 にも関らずこの数字。やはり安易な成果主義導入の弊害は日ごとに大きくなり、トップも意識せざるをえないレベルにまでなってきているのだろう。

 前作を出版してから、何十社もの企業の社員と話す機会があり、その度に自身が経験したこととそっくりな状況が、そこら中の企業で起きていることに愕然としたものだ。

 その中には、一般に「成果主義の成功例」と言われている企業もある。そういう企業にしても、ただ一時的な好業績の陰に隠れて、じわじわと社内の荒廃は進んでいるのかもしれない。特にそれら取材した人、企業ほとんど全てに共通するのは「目標管理制度がほとんど機能していない」という事実だろう。

 今、比較的早期に新制度に移行した企業の間で、制度の見直し作業が始まっている。

 まだこれといった方向性は打ち出せていないように思うが、個人的には富士通の改革がもっとも目指す方向性が明確な気がする。やはり導入が早かった企業ほど、改革も早いのかもしれない。
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