ご意見番の雷、一喝!

日々起きている問題や、余りにも無責任な大人たちの態度に、時には辛口の、また時には怒りの、それぞれ批評を、爺やがご意見番として展開する。

 7月28日(木)の朝日新聞『論壇時評』で、金子 勝・慶応大教授が紹介していた内容に、思わずニヤリとしてしまった。これは日記として、このBLOGに記録しておかないと気がすまない。

 一つは、、櫻井よしこ、田久保忠衛VS劉江永、歩平「靖国参拝の何が悪いというのだ」(文芸春秋8月号)で、情緒的かつ内向きな議論を展開する日本側論者が、中国の歴史学者によって、ごく基本的な事実認識の誤りをたしなめられたというもの。

 (引用)
 たとえば、田久保は「(靖国問題は)日本人の『心』の問題であり」、「これは何千年も昔から日本人が抱いてきた信仰」だとし、「日本では亡くなった人はみな等しく神様で、死者の魂にA級戦犯とかB級戦犯といった区別をし」ないと発言するのに対して、歩は「靖国神社に祀られているのはすべて戦没者であり」「同じ戦没者でも、敵国の兵士は入ることができない」と指摘し、劉も「靖国神社はそれまでの日本の伝統的な神道とは異なる『国家神道』の神社」だという。
 実際、靖国神社は天皇=国家という原理に立ち、基本的にそれに逆らった者は祀られていない。

 さらに櫻井は、首相による靖国参拝の過去の事例を挙げて「中国にとって歴史認識問題とは・・・政治カードにすぎ」ないと批判するのに対し、歩は「85年の中曽根首相の参拝」を問題にしたのは「A級戦犯の合祀後の8月15日に行われたはじめての『公式』参拝であった」からだと述べる。
 つまり中国は、靖国神社へのA級戦犯合祀と首相の「公式」参拝だけを問題にしているのだ。
(引用終わり)

 日ごろテレビなどマスコミで愛国者を気取って強い口調で言葉を発しておられるお二人だが、な〜んだ、基本的な事実認識が誤っていることをたしなめられるとは、しょせん物知り顔に浅薄な知識をひけらかすだけの、ただのお喋り屋じゃあないか。

 揃いも揃ってこんな連中だからなのか、「歴史上の人物とその業績」では「神話上の人物」まで登場人物数に算入して恥じない、扶桑社版「新しい歴史教科書をつくる会」編集の歴史教科書(および公民教科書)を褒め称えているが、こんなもので教育されれば、子どもたちは、この連中のように、世界から「ごく基本的な事実認識の誤りをたしなめられ」てしまう、恥ずかしい日本人に成長してしまうだろう。

 止めてくれ、そんな教育は。

 もう一つは、先の二人をはじめとする改憲論者の言うとおりに、東京裁判を見直し「押し付け憲法」を改正しようとすることは、皇室が憲法改正の最後の歯止めになっている事実を無視するものであるばかりか、自分たちが慕い敬っている天皇の意思に反することになるという点を突くもの。

 
(引用)
 加藤哲郎は、CIAの前身OSS(戦略情報局)の機密文書の中から、「1942年6月3日付陸軍省軍事情報部心理戦争課『日本計画(最終草稿)』」を発見した。そこには、「戦争に導いた日本の軍部と『天皇・皇室を含む』国民との間にくさびを打ち込み」、天皇を「平和のシンボル」として利用する計画が書かれている(『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社新書)。

 その後、東京裁判は天皇の戦争責任を免罪し、軍部・指導者たちをA級戦犯として処罰した。

 もし東京裁判を見直し、「押し付け憲法」を改正しようとするなら、天皇の戦争責任問題を含めて全てを見直す必要が生じてくる。

 ところが、いまや現天皇は象徴天皇制を規定した「押し付け憲法」を遵守し、戦争中から米国が意図したとおり「平和のシンボル」たろうと努めている。事実、現天皇は靖国神社を参拝せず、日の丸・君が代を強制しないようにと発言し、第二次大戦の激戦地サイパンを訪問した際にも、韓国人や沖縄出身の戦死者の墓参りをした。

 気がつけば、皇室が憲法改正の最後の歯止めになっている。何という歴史の皮肉だろうか。
(引用終わり)

「国民保護協議会」設置条例 沖縄県が唯一継続審議

 有事法制の一環である「国民保護」法を具体化するために、「国民保護協議会」設置条例の制定が全国の都道府県で進められている中で、唯一、沖縄県では継続審議となったということを、今日の「赤旗」で知った。大要、次のような内容だった。

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 60年前の沖縄戦では、10数万人の県民の命が失われました。日本軍は、県民が軍と一体となって戦うことを強要。防空壕から住民を追い出すなど軍事優先の立場から多くの悲劇が起きました。

 沖縄は離島のため、空港や港が軍事優先で使われれば、県外への住民の避難は困難です。都道府県の「国民保護計画」の基準にもなる政府の「国民保護基本指針」(3月決定)は「沖縄県の住民の避難については・・・国が特段の配慮をすることが必要」と指摘。「避難に必要な航空機、船舶、飛行場及び港湾の確保に努める」などとしています。

 しかし、3月23日の文教厚生委員会で日本共産党の前田政明県議は、沖縄戦の経験に触れつつ、在日米軍基地が過度に集中し本島面積の1割を占める沖縄で、米軍が自衛隊とともに戦争に乗り出せば、有事法制で島全体が軍事優先になり、県と県民は協力が強要されると指摘。そうなれば130万人の県民の命は守れないと追及しました。

 県当局は「沖縄戦の経験にかんがみると、そういう有事の事態に国民を保護するのがいかに困難であるかは、沖縄県民は歴史的な体験として知っている」と答弁。「国民保護計画」については「今後の作業」と言うばかりで、具体的な内容の説明はできませんでした。県幹部も「沖縄戦という歴史的事実は否定できない」と心情を明かしました。

 答弁不能の県当局の姿勢は、与党議員に動揺を与えました。ある自民党議員は「大変重要な議案だ。地元に帰ったら支持者からも聞かれる。質疑を聞いて、時間をかけて勉強したい」と発言。結局、与党も採決を断念せざるを得なくなりました。

 日本共産党の嘉陽宗儀県議は言います。「沖縄に米軍基地があるからこそ攻撃される危険がある。これは県民の共通の思いだ。いかに戦争を起こさないようにするかを考えることこそが大事で、条例の廃案を目指してたたかう。」
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 戦争体験も無い頭でっかちでアメリカべったりのワカゾウ政治屋には、コンピュータのシミュレーションゲームの一種かもしれないが、「国民保護」法制というものの欺瞞を、沖縄県民はカラダで知っている。

 もうすぐ県都那覇市の市議選が始まる。憲法9条を守るためには、東京都議選とともに、ここ沖縄の市議選でも、日本共産党の6人〔渡久地オサム(現)・ワク川朝渉(現)・大城チョースケ(現)・我如古イチロー(現)・フルゲン茂治(新)・比嘉みずき(新)〕全員の当選が大きな力になる。

がんばれ!

 朝日新聞web版に、「9条の会のドキュメンタリー映画完成 出資者にDVDで」(2005年05月31日10時52分)の記事が載っていた。

 この手の記事は、やがて見られなくなっていくが、上記をクリックすれば見に行くことができるので、一度ご覧いただきたい。

 記事によると、「9条の会」の活動を追ったドキュメンタリー映画が完成したらしい。題して、「9 nine――憲法9条は訴える!」。少人数でじっくり見てもらおうと、映画館での上映ではなく出資者にDVDとビデオを配る方式をとっているとのこと。

 ご存知の通り、「9条の会」は昨年6月、大江健三郎氏や奥平康弘・東大名誉教授、三木睦子・元首相夫人ら9人が結成した会。全国で講演会を開いてきて、予想以上に聴衆が集まり、第2会場を準備した会場もあったと「赤旗」で伝えられてきた。

 この手の、国民にとって本当に大切な情報や知りたい情報は、なぜか大新聞は伝えず、結局、「赤旗」に頼らざるを得ない。こんなところにも、メディアの責任が厳しく問われ無ければならないと思う。

 制作費約500万円は1口1万円の協力金でまかない、出資者に映画のDVD1枚とVHS1本を提供するらしい。

 問い合わせは「9条を守ろう!映像プロジェクト」
 (電話03・3511・7031)。

 こんな、面白くて為になり、そして最後には冷や汗で震えが起きるかもしれない本の紹介(管理人さんは備忘録のつもりなのだが)を見つけたので、早速メモっておき、仕事が一段落したら読んでみよう。

 「+++PPFV BLOG+++」さんの「戦争プロパガンダ 10の法則」。

 朝日新聞5/13(金)の"opinion news project"に、「前提まだ整っていない」と題して、作家の辻井 喬氏が一文を寄せていたが、この一文、大いに賛成である。

 このブログの最初の記事に取り上げるのに相応しいものであるので、ご意見番としての爺やの思いを述べておこう。

 辻井 喬、本名は堤 清二。よく知られるように、西武グループの創業者である故・康次郎氏の次男で、西武百貨店を核に、西友、パルコ、クレディセゾン、インター・コンチネンタル・ホテルズなどグループ総売上げ四兆円強を誇る一大セゾングループを築き上げた堤清二氏の筆名である。

 その実業家の顔を持つ彼の言葉は、ただの評論家諸氏の言葉と違って、相当な重みを持っている。耳を傾けるのに相応しいと言える。彼の言葉に耳を傾けながら、爺やもコメントを差し挟んでいこう。


 非常に多くの経済人や外交関係者から「国連安保理常任理事国入りの条件を日本は満たしている」との声を聞く。日本は国連予算にも国際的な途上国援助(ODA)にも貢献しているのだから、と。
しかし私は、その意見に賛同できない。

 国連は平和のための国際機関だ。その中核である安保理が抱える最大の課題は、米国の単独行動主義への対応だろう。米政府は国連を無視してイラク攻撃に踏み切った。このような単独行動ぶりをどう抑えるか、である。

 日本政府は当時、米国に追従して、武力行使を後押しする役割を果たした。同じ常任理事国入りを目指す国家でも、ドイツが見せた慎重姿勢とは対照的だった。国際平和主義という国連の原点に照らしたとき、現在の日本が常任理事国入りの前提を満たしているとは思えない。

 そもそも現在の日本政府に、独立した思考や意思があるかどうかさえ疑問だ。他国から「日本の常任理事国入りは米国の票を増やすだけ」と言われるのは当然である。

 国際社会の一員としての責務を果たしているかどうか、という点でも問題がある。

 「60年も経ったのだから戦勝国も敗戦国もなかろう」という漠然とした感情を間違っているとは思わないけれど、「60年たった今も、信頼してくれる仲間がアジアにいない」という日本の現実も見る必要がある。第2次大戦に至った歴史の決算をまだ終えていないということだ。


(ここだ。ここが最も肝心なところだ。小泉首相やその他の政治家も含めて、戦争体験を持たない今の若造(ワカゾウ)は、相手に思いやる気持ちというものが無いようだ。60年もたって、未だに信頼してくれる仲間がいないなんて、救いようの無い独善家、大ばか者としか言えまい。)


 周辺国との和解に積極的に取り組んできたドイツとは、この点でも対照的である。中国と韓国が日本の常任理事国入りに反対している事実もまた、常任理事国入りの前提が整っていないことの表れだと見るべきだろう。

 現在の世界は、米国発のグローバル化という現象によって挑戦を受けている。イラク戦争の現実が示唆するとおり、放っておけばこの流れはアジアを含む各国の文化的固有性を破壊していく。文化的な独自性と多様性を擁護することが世界的課題なのだ。日本の貢献も、こうした方向へ向かうべきだろう。


(今まさに、日本の中から日本的なものがどんどん失われていきつつあると見るのは、爺やだけだろうか。日本という国の文化的固有性が破壊されていきつつあるのではないのか。文化的な独自性と多様性を擁護することは、日本的なものを守る上で必要なことなのだ。自分の自分らしさを守ろうとすれば、相手のその人らしさを尊重しなくては始まらないのだ。)


 その観点から近代日本史を振り返ったとき、最も国際感覚が光っていたのは明示25年(1892年)前後までだったと私は見ている。軍事力も経済力もないその時期に、政府は海外列強の力学を冷静に読んでいた。帝国主義的なグローバル化の圧力の中で文化的な独自性を守ろうとしたのだ。

 しかし、その後は、軍事力を背景にした外交で敗戦に至った。戦後は経済力を背景にしたけれど、「商品が売れないから武器輸出への道を開こう」という最近の経済界や政府のモラル低下を見ると、「経済オンリーで、倫理や文化への尊敬を欠く国になってしまったのでは」との懸念がぬぐえない。


(最近の、尼崎事故を起こしたJR西の、社長や会長、企業そのものの対応・態度を見ていると、まさにその通りだ。)


 国際社会で名誉ある地位を得たいなら、日本は平和憲法の価値を世界に訴えていくべきだ。「核武装をしない」「海外派兵をしない」「徴兵制を敷かない」という3原則の確立である。それこそが、歴史に基づく国家の特性を生かした貢献であり、日本のなしうる最大の貢献であろう。

 その際、自衛隊の海外活動は、国連安保理の発動する平和維持活動に限定する。「国連中心主義」は、そのような形で生かすべきだ。

 常任理事国入りという政策は、こうした国家理念を明確にし、近隣諸国を含む国際社会からの理解を得た上で、検討すべきものだろう。